眼の誕生
──カンブリア紀大進化の謎を解く
はじめに
カンブリア紀の地層から突如として化石が見つかるようになることについては、現時点ではまだ説明がついていない。……この点はここで論じた進化論の考え方に対する有力な反証となりうる。
今を去ること五億四三〇〇万年前、今日見られる主要な動物グループのすべてが、いっせいに硬い殻を進化させ、それぞれ特有の形態をもつにいたった。しかもそれは、地史的に見れば一瞬に等しい期間で起こった。これこそ、動物進化におけるビッグバン、史上もっとも劇的な出来事といってよいかもしれない。では、この「カンブリア紀の爆発」と呼ばれる出来事を招来した起爆剤は、いったい何だったのか。
この尋常ならざる爆発的進化を起こした原因については、これまでにさまざまな説が提唱されてきたが、納得のゆくものはなかった。いずれにも強力な反証が存在するのだ。有力とされる説もくわしく検討してみると、どれもみな、進化史上の異なる出来事を説明する説ではありえても、カンブリア紀の爆発そのものの説明とはなっていないことがわかる。早い話、進化のビッグバンで起きたことに関しては多くのことが書かれ、広く知れ渡っている一方で、それが起きた原因については皆目わかっていないというのが実情なのだ。本書の目的は、カンブリア紀の爆発が起こった原因を解き明かすことにある。
その原因を解き明かすにいたった物語を語るにあたっては、「謎」とか「手がかりを捜す」といった表現がぴったりである。そう、この物語は、科学的犯罪捜査として語るにふさわしい話題なのだ。したがって本書はおのずと探偵小説の構成をとることになった。
これまでぼくは、関心が赴くまま、また目前に立ちはだかる謎を解く必要上から、さまざまな研究分野に首を突っ込んできた。歩んだ道は決して平坦なものではなかったが、長い捜査の果てに姿を現わしたのが、カンブリア紀の謎だった。謎をひとつひとつ解き明かす過程でおのずと証拠が集積され、最後に手にした答については、今もって反証の現われる兆しがない。つまり、最後に残ったこの答こそが「真実」であると、ぼくは確信している。
カンブリア紀の爆発が起きた真の原因を解き明かすには、たとえいかにまだるっこくとも、順序立てて説明してゆく必要がある。そこで、第1章で問題を提起したあと、第2章から第8章では、地球上の生きものはどのように生きているのか、進化の過程ではどのようなことが起きてきたのかを説明しながら、地史学上の時代ごとに生きものが対処してきた問題を、多層的に論じてゆけたらと思う。そうやって少しずつ光を当てながら、全体像をあぶりだしてゆきたい。
専門用語を使う分だけ読者の数は減るという忠告に従い、学名や専門用語は極力使わないつもりである(引用文献もしかり)。動物の学名はできるだけ避け、場合によっては俗称や通称ですますことにする。そうすることに対する批判は、甘んじて受ける覚悟である。ただし、繰り返し使わざるをえない重要な専門用語については、あえてそのまま使用する。
第8章を終える時点で、カンブリア紀の爆発の謎を解明するために必要な手がかりは、すべて提示されるだろう。積み上げられる科学的な証拠は、生物学の分野にとどまらない。地質学、物理学、化学、歴史、芸術と多岐におよぶはずである。俎上に上げる話題も、眼、色彩、化石、補食動物、古代エジプトの像、深海、サンゴ礁など多彩である。“マクスウェルの朝食やニュートンのクジャクのどこが、進化と関係があるのだ。チャールズ・ドゥーリトル・ウォルコットが発見したカンブリア紀の「バージェス化石」と同列とでも言うのか”そんな訝しむ声も聞こえてきそうだが、カンブリア紀の爆発をめぐる謎は、あらゆる分野の証拠を集めてかからねばならないほど手強い。しかも、誰もが耳を傾けて損はない。その謎解きは、一般向けの本にする値打ちがあると、ぼくは確信している。読者のみなさんの同意が得られたら、これほどうれしいことはない。
カンブリア紀の地層から突如として化石が見つかるようになることについては、現時点ではまだ説明がついていない。……この点はここで論じた進化論の考え方に対する有力な反証となりうる。
──チャールズ・ダーウィン『種の起源』
(最終第六版、一八七二年)
(最終第六版、一八七二年)
今を去ること五億四三〇〇万年前、今日見られる主要な動物グループのすべてが、いっせいに硬い殻を進化させ、それぞれ特有の形態をもつにいたった。しかもそれは、地史的に見れば一瞬に等しい期間で起こった。これこそ、動物進化におけるビッグバン、史上もっとも劇的な出来事といってよいかもしれない。では、この「カンブリア紀の爆発」と呼ばれる出来事を招来した起爆剤は、いったい何だったのか。
この尋常ならざる爆発的進化を起こした原因については、これまでにさまざまな説が提唱されてきたが、納得のゆくものはなかった。いずれにも強力な反証が存在するのだ。有力とされる説もくわしく検討してみると、どれもみな、進化史上の異なる出来事を説明する説ではありえても、カンブリア紀の爆発そのものの説明とはなっていないことがわかる。早い話、進化のビッグバンで起きたことに関しては多くのことが書かれ、広く知れ渡っている一方で、それが起きた原因については皆目わかっていないというのが実情なのだ。本書の目的は、カンブリア紀の爆発が起こった原因を解き明かすことにある。
その原因を解き明かすにいたった物語を語るにあたっては、「謎」とか「手がかりを捜す」といった表現がぴったりである。そう、この物語は、科学的犯罪捜査として語るにふさわしい話題なのだ。したがって本書はおのずと探偵小説の構成をとることになった。
これまでぼくは、関心が赴くまま、また目前に立ちはだかる謎を解く必要上から、さまざまな研究分野に首を突っ込んできた。歩んだ道は決して平坦なものではなかったが、長い捜査の果てに姿を現わしたのが、カンブリア紀の謎だった。謎をひとつひとつ解き明かす過程でおのずと証拠が集積され、最後に手にした答については、今もって反証の現われる兆しがない。つまり、最後に残ったこの答こそが「真実」であると、ぼくは確信している。
カンブリア紀の爆発が起きた真の原因を解き明かすには、たとえいかにまだるっこくとも、順序立てて説明してゆく必要がある。そこで、第1章で問題を提起したあと、第2章から第8章では、地球上の生きものはどのように生きているのか、進化の過程ではどのようなことが起きてきたのかを説明しながら、地史学上の時代ごとに生きものが対処してきた問題を、多層的に論じてゆけたらと思う。そうやって少しずつ光を当てながら、全体像をあぶりだしてゆきたい。
専門用語を使う分だけ読者の数は減るという忠告に従い、学名や専門用語は極力使わないつもりである(引用文献もしかり)。動物の学名はできるだけ避け、場合によっては俗称や通称ですますことにする。そうすることに対する批判は、甘んじて受ける覚悟である。ただし、繰り返し使わざるをえない重要な専門用語については、あえてそのまま使用する。
第8章を終える時点で、カンブリア紀の爆発の謎を解明するために必要な手がかりは、すべて提示されるだろう。積み上げられる科学的な証拠は、生物学の分野にとどまらない。地質学、物理学、化学、歴史、芸術と多岐におよぶはずである。俎上に上げる話題も、眼、色彩、化石、補食動物、古代エジプトの像、深海、サンゴ礁など多彩である。“マクスウェルの朝食やニュートンのクジャクのどこが、進化と関係があるのだ。チャールズ・ドゥーリトル・ウォルコットが発見したカンブリア紀の「バージェス化石」と同列とでも言うのか”そんな訝しむ声も聞こえてきそうだが、カンブリア紀の爆発をめぐる謎は、あらゆる分野の証拠を集めてかからねばならないほど手強い。しかも、誰もが耳を傾けて損はない。その謎解きは、一般向けの本にする値打ちがあると、ぼくは確信している。読者のみなさんの同意が得られたら、これほどうれしいことはない。
アンドリュー・パーカー
米アンドリュー・パーカー 1967年、英国生まれ。オーストラリア博物館研究員を経て、1999年から英国ロイヤルソサエティ大学特別研究員としてオクスフォード大学動物学科の研究リーダーに就任。2005年からは英国自然史博物館動物学研究部研究リーダー。2005年、2冊目の著書 Seven Deadly Colours: The Genius of Nature's Palette and How It Eluded Darwin (Free Press) を出版。
渡辺政隆
1955年生まれ。東京大学農学系大学院博士課程修了。サイエンスライター。奈良先端科学技術大学院大学客員助教授等を経て、現在、文部科学省科学技術政策研究所上席研究員として、科学技術公衆理解増進に関する調査研究に従事。著書に『DNAの探求』(朝日選書)、『ガラガラヘビの体温計』(河出書房新社)、訳書に『川が死で満ちるとき』(バーカー、共訳、草思社)、『ワンダフル・ライフ』(グールド、早川書房)他多数。
今西康子
神奈川県生まれ。NTTの健康管理所に勤務ののち、現在は翻訳業。共訳書に『もっと痩せたい!──からだを憎みつづけた私の13年間の記録』(大和書房)、『保健医療職のための質的研究入門』(医学書院)、『子どもに伝える父親たちの知恵』(草思社)がある。
米アンドリュー・パーカー 1967年、英国生まれ。オーストラリア博物館研究員を経て、1999年から英国ロイヤルソサエティ大学特別研究員としてオクスフォード大学動物学科の研究リーダーに就任。2005年からは英国自然史博物館動物学研究部研究リーダー。2005年、2冊目の著書 Seven Deadly Colours: The Genius of Nature's Palette and How It Eluded Darwin (Free Press) を出版。
渡辺政隆
1955年生まれ。東京大学農学系大学院博士課程修了。サイエンスライター。奈良先端科学技術大学院大学客員助教授等を経て、現在、文部科学省科学技術政策研究所上席研究員として、科学技術公衆理解増進に関する調査研究に従事。著書に『DNAの探求』(朝日選書)、『ガラガラヘビの体温計』(河出書房新社)、訳書に『川が死で満ちるとき』(バーカー、共訳、草思社)、『ワンダフル・ライフ』(グールド、早川書房)他多数。
今西康子
神奈川県生まれ。NTTの健康管理所に勤務ののち、現在は翻訳業。共訳書に『もっと痩せたい!──からだを憎みつづけた私の13年間の記録』(大和書房)、『保健医療職のための質的研究入門』(医学書院)、『子どもに伝える父親たちの知恵』(草思社)がある。