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震災ジャンキー

被災者でもなく、ジャーナリストでもない。ボランティアが見た東日本大震災の深層

 2011年3月11日の東日本大震災から6年以上の月日が経ち、その間に起こった事柄はさまざまな形で報道され、書籍としても著されてきました。本書は、震災被害に遭った当事者でもなく、あるいはジャーナリストや研究者としての立場からでもなく、ボランティアの視点からで書かれたルポルタージュです。

 震災発生当時、NPO法人AAR Japanに所属していた著者は、東北の被災地に入って支援物資配達などの業務を行い、非常に厳しい現場を体験しました。恐るべき現実のなかに身を置いた被災者たちは、ボランティアである著者の支援活動に対して、一様の反応を表すわけではありませんでした。

 高台に新しく家を建てたばかりに自分だけが助かってしまったと泣きながら、近隣の人のために支援を要請する女性。「ほどこしは受けない」と厳しい表情で必要最低限の物資だけを受け取る避難所のまとめ役。孤立した小さな島から電話で、底をつきかけた飲料水を届けてほしいと話しながらも、そのおっとりと落ちついた口調でこちらの心まで静めてくれるような、島の区長。著者はそれら一人ひとりに、心を動かされたり、近づきがたいと感じたり、本当に役に立てているのだろうかと自問したりしながら、緊急支援活動を続けました。

 著者はその後、AAR Japanを退職しますが、ひきつづきボランティアとして被災地に何度となく足を運び、支援活動を続けます。緊急支援の折に知り合った被災者とも親交を温めてきました。本書には、震災直後に知り合った被災者と被災地の変化や、その後の支援活動の中で知り合った被災者たちの様子が描かれています。そこにあるのは、冷徹な分析でも、型にはまった同情でも、イデオロギー的な言辞でもありません。その場に身を置き、困っている人を助けようと体を動かした人間だけが語り得る、震災の現実が記されています。

何のため、誰のためのボランティアか。支援する側も自問自答を繰り返す

 ときに「自己満足にすぎない」「偽善だ」と中傷されることもあるボランティア。実際に、配慮を欠いた《支援》は被災者に負担をかけるだけに終わることもあります。被災者の「ありがとう」という言葉や、笑顔とは裏腹に、「ありがた迷惑」な《支援》だったということも。困っている人がいて、それを助けるという、一見単純なことであっても、本当に役立つのは難しいという事実に、著者や仲間のボランティアが自問自答する姿も、本書には描かれています。そのような葛藤を抱えながらも、ボランティアたちはなぜ、支援を続けたいという気持ちを持ちつづけるのでしょう?

 被災地の現実をこれまでとは異なる視点から考えてみたいという方はもちろん、今後ボランティアに身を投じてみたいと考えている方にも、ぜひ読んでいただきたい一冊です。

(担当/久保田)

小林みちたか

1976年東京生まれ。慶応義塾大学総合政策学部卒。2000年朝日新聞入社、2004年退社。広告制作会社などを経て、2010年よりAAR Japan[特定非営利活動法人 難民を助ける会]に所属し、東日本大震災の支援活動に携わる。2011年退職。以後、フリーランスのライターとして活動しながら、被災地に通い続ける。愛犬はフレンチブルドッグのトトロ。

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