暮らしの気象学
4 異常気象はなぜおこる
暑さの記録
昭和八年七月二十五日、山形市の測候所(現在の山形地方気象台)で、摂氏四〇・八度という人間の体温をはるかに上まわる気温が観測された。これは日本の気象台・測候所で観測した気温の最高記録である。気象庁が学校、役場その他の部外の機関に委託して行っている気象観測の記録には、これより高い気温がある。また真夏の太陽にジリジリ照らされた大都会のアスファルト道路に温度計を置けば五〇度近くになり、歩くと足の裏が熱く感じる砂浜に温度計をつっこめば、六〇度ぐらいになることがある。
前記の四〇・八度というのは、測候所の露場と呼ばれる芝生の広場に置かれた、白いペンキの塗られた、よろい戸のついた風通しのよい、しかも直射日光のさしこまない、百葉箱の中に置かれた正確な温度計を、専門の気象職員が測った正真正銘の気温の最高値である。だから日本で最も暑かった場所は山形市、暑かった日は昭和八年七月二十五日である、といってよさそうである。
その日本で最も暑かった日のことを中心として、昭和の初めのころの「暑い夏、涼しい夏」のことを記してみよう。
もう二〇年近くも前、NHKラジオの人気番組「話の泉」で、日本で一番暑かった場所は、という問題が出たことがあった。渡辺紳一郎、堀内敬三などの“物知り博士”たちは、「南の県だよ」「鹿児島じゃないかな」「その南に奄美大島があるぜ」「昔なら台湾というところだな」「沖縄は、どうする……」「昔、漢口には雀落としの暑さというのがあったな。暑くて雀が電線からバタバタ落ちてくる……」「またまた、そんなデタラメを」「いや、本当さ、すこし大げさだけど……」などといい合っていて、正解はでなかった、といわれている。
たしかに、北国の山形で日本の最高気温が現れるのは、奇異な感じがする。
しかし……である。日本の気象台・測候所で測った最高気温の二〇位までの記録をあげてみると、右表のようになる。(同じ値の場合は、日付の新しいものを上位とした。)
この表の地名を見ると、ほとんどが東日本であることに気づく。また昔、裏日本と呼ばれていた日本海側の雪国や、山間部の盆地が多い。さらにベスト5のうち三ヵ所が、東北地方によって占められている。“山形の暑い日”は決して偶然ではないのである。北国、日本海側、雪国、盆地と、およそ厚さに縁のなさそうな条件がそろった地点に、日本で一番暑い日が現れた。そのことの気象学的理由や風土としての意義は、後で述べることにする。
ドキュメント 日本がいちばん暑かった日
暑さの記録
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前記の四〇・八度というのは、測候所の露場と呼ばれる芝生の広場に置かれた、白いペンキの塗られた、よろい戸のついた風通しのよい、しかも直射日光のさしこまない、百葉箱の中に置かれた正確な温度計を、専門の気象職員が測った正真正銘の気温の最高値である。だから日本で最も暑かった場所は山形市、暑かった日は昭和八年七月二十五日である、といってよさそうである。
その日本で最も暑かった日のことを中心として、昭和の初めのころの「暑い夏、涼しい夏」のことを記してみよう。
もう二〇年近くも前、NHKラジオの人気番組「話の泉」で、日本で一番暑かった場所は、という問題が出たことがあった。渡辺紳一郎、堀内敬三などの“物知り博士”たちは、「南の県だよ」「鹿児島じゃないかな」「その南に奄美大島があるぜ」「昔なら台湾というところだな」「沖縄は、どうする……」「昔、漢口には雀落としの暑さというのがあったな。暑くて雀が電線からバタバタ落ちてくる……」「またまた、そんなデタラメを」「いや、本当さ、すこし大げさだけど……」などといい合っていて、正解はでなかった、といわれている。
たしかに、北国の山形で日本の最高気温が現れるのは、奇異な感じがする。
しかし……である。日本の気象台・測候所で測った最高気温の二〇位までの記録をあげてみると、右表のようになる。(同じ値の場合は、日付の新しいものを上位とした。)
この表の地名を見ると、ほとんどが東日本であることに気づく。また昔、裏日本と呼ばれていた日本海側の雪国や、山間部の盆地が多い。さらにベスト5のうち三ヵ所が、東北地方によって占められている。“山形の暑い日”は決して偶然ではないのである。北国、日本海側、雪国、盆地と、およそ厚さに縁のなさそうな条件がそろった地点に、日本で一番暑い日が現れた。そのことの気象学的理由や風土としての意義は、後で述べることにする。
倉嶋厚
1924年、長野市生まれ。中央気象台付属気象技術官養成所研究科(現在、気象大学校)卒業後、気象庁防災気象官、主任予報官、札幌管区気象台予報課長、鹿児島地方気象台長などをへて、84年、NHK解説委員になる。理学博士。86年、日本気象協会岡田賞、88年、交通文化賞、91年、第1回国際気象フェスティバル・ベストデザイン賞、96年NHK放送文化賞、勲三等瑞宝章受賞。主な著書に『風の色・四季の色』(丸善)『日和見の事典』(東京堂出版)などがある。
1924年、長野市生まれ。中央気象台付属気象技術官養成所研究科(現在、気象大学校)卒業後、気象庁防災気象官、主任予報官、札幌管区気象台予報課長、鹿児島地方気象台長などをへて、84年、NHK解説委員になる。理学博士。86年、日本気象協会岡田賞、88年、交通文化賞、91年、第1回国際気象フェスティバル・ベストデザイン賞、96年NHK放送文化賞、勲三等瑞宝章受賞。主な著書に『風の色・四季の色』(丸善)『日和見の事典』(東京堂出版)などがある。