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立ち読みコーナー
太平洋戦争における人種問題
クリストファー・ソーン / 市川洋一 訳

「人種」という概念

 最初にまず、前述の歴史的背景や時代的枠組ということに関して注意を要する点をいくつか申し上げておかなければなりません。
 第一は、第二次世界大戦後、国際情勢と世論の空気がいかに大きく変化したかを念頭におく必要があるということです。このような変化のおかげで、歴史家たちは戦争中は必ずしも意識されていなかった問題、少なくとも公にはされていなかった問題を明らかにすることができるようになりました。セオドア・ホワイトなどは中国に新聞記者として滞在していたときのことを振り返り、「その時代の倫理は、人種的な観点からの報道を禁じていた」と述べています。しかしまた、このように問題を明らかにすることができるようになったおかげで、人種問題について今日そのようなことを口にしようものなら顰蹙を買うような考えが、一九四〇年代の初めごろには西側世界の中でいかに広がっていたかを知ることができるようになりました。事実、第二次世界大戦中、インドや東南アジアで軍務に服していた著名な軍人であり歴史家でもある人が、私に「今日的な意味でいえば、一九三九年から四三年の間は、たいていの人が人種差別主義者だった……西欧文明の完全な優位性が依然、信じられていた」と語っています。このような意見は、たとえばイギリスではチャーチルのような人たちとクリップスのような人たちとの相異、またアメリカではヘンリー・スティムソンのような人たちとヘンリー・ウォーレスのような人たちとの態度の相異を十分考慮にいれた判断とはいえないかもしれませんが、基本的な点では正しいといえるでしょう。ただ、チャーチルやスティムソンの考えを今日的な意味での「人種差別主義者」とよぶことが正しいと思われるにしても、同時に歴史的背景というものを忘れてはならないのです。
 このことから第二の問題点が出てきます。これから先、人種なるものについての人びとの態度や認識の問題をとり上げることになるわけですが、その場合、人種という概念について、いちいちそれが人類学的に見て妥当かどうかを検討することはしません。この概念は粗雑であることが多く、「人種」という言葉もさまざまな意味に使われているのです。人種による分類には、「白人」対「有色人種」の区分から、「アジア」「東洋」対「西洋」の区分までがいりまじっています。戦争中、このような定義づけについて検討されたことは、あまりありませんでした。アメリカ国務省のスタンレー・ホーンベックが、パール・バックとこの問題についていくらか混乱した意見のやり取りを行っていたことがあります。
 しかしここでは、以上のような概念上の混乱があること、人類学的にいえば、「アジア人」とか「アジア社会」というような語句は、イーヤー博士の言葉を借りれば、「ほとんど無意味であり……具体的な実体というよりもむしろ作りものの概念である」ことを、最初に指摘しておけば足りるでしょう。


クリストファー・ソーン
一九三四年、イギリス生まれ。オックスフォード大学セント・エドムンド・ホールで現代史を専攻。戦後の英国海軍に従軍、駆逐艦に乗り組んでいた経験がある。サセックス大学で国際関係論の教授を務めていたが、九二年に癌のため急逝。王立歴史学会、英国学士院の特別会員でもあった。
主要著書:The Approach of War,1938-1939(1967)/Allies of a Kind(1978)、邦訳『米英にとっての太平洋戦争』/Racial Aspects of the Far Iastern War of 1941-1945(1982)、邦訳『太平洋戦争における人種問題』/The Issue of War(1985)、邦訳『太平洋戦争とは何だったのか』

訳者:市川洋一
一九二五年生まれ。四七年に京都大学法学部を卒業。東洋レーヨン、東レ・エージェンシー勤務を経て八五年に退職。訳書:ソーン『太平洋戦争とは何だったのか』(一九八九年)、『太平洋戦争における人種問題』(一九九一年)、『米英にとっての太平洋戦争』(一九九五年)。いずれも草思社刊。