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立ち読みコーナー
満州事変とは何だったのか(上)
――国際連盟と外交政策の限界
クリストファー・ソーン / 市川洋一 訳
まえがき

 私が満州事変について関心をそそられるようになったのは、第二次世界大戦の真の起点は、第一次世界大戦後に確立された国際平和機構が裏切られ崩壊した、この一九三一〜三三年危機の時期なのだ、と繰り返し主張されているのを耳にしてからである。二〇年前にレジナルド・バセットの『民主主義と外交政策』(Democracy and Foreign Policy)が出版されて以来、この極東危機とイギリスとのかかわりについての綿密な研究は、私の知るかぎり行われてこなかったように思われる。資料としては、公文書館の膨大な公文書だけではなく、数多くの私的文書の収集もある。その中には、公職にはついていなかったが、バセットがとくに関心を払った一人であるギルバート・マーレーやセシル伯といった人びとの書簡も含まれている。イギリスの極東政策に関するこれらの未公刊資料を調べるにしたがって、問題はアメリカの極東政策と密接にからみあっており、イギリスの政策だけをとりあげても、多くの点で不満足な結果しか得られないことがわかってきた。と同時に、アメリカの政策についても、すでに公にされた研究はあるものの、より広い見方と詳しい分析という点から、私として寄与できるところがあるのではないかと思われるようになってきた。そこで、さっそくこの方面の研究にとりかかり、アメリカのその分野の学者たちからも多大の好意と助力を得ることになった。
 こうして、政策とその立案過程についてイギリスとアメリカの双方を比較し、さらに他の三つの問題をもあわせ検討することによって、研究をより幅広いものとすることができた。この三つの問題とは、一つは国際連盟自体の役割と連盟内におけるイギリスの役割、一つはアメリカ、イギリス、フランス、この三国間の不安定な関係と極東の諸条件との、まだ十分に解明されたとはいえない複雑な関連、最後は極東における西欧の存在、そして、それにともなう極東に対する西欧側の見方と態度の問題である。さいわい、これらの問題についても、ときには迂遠で、結果は期待はずれに終わることがあったとしても、新しく使用できるようになった資料や今でも使われていなかった資料を広く利用することができた。
 本書の研究の焦点は西側の局面におかれている。したがって、この研究は極東における局面の展開についての先駆的な研究の一端を担うものだとはいえない。だが、日本、満州、中国の当時の状況における事態の推移について、西側ではどのような評価がなされていたかを明らかにしたいというのが、私としての希望でもあった。この極東での状況に関しては、第二次世界大戦後の東京国際軍事裁判関係の膨大な未公開の文書や議事録が、いろいろな点で疑わしいところもあるものの、重要な資料を提供してくれている。なお全般にわたっては、極東問題の専門家に負うところが多く、その研究、とくに日本の政策に関する研究は本書の各所に引用されている。
 このように調査の手を広げ、西側の政策を全体として捉え、それを日本の動きと対置して見た結果感じたことは、危機そのものは比較的短期間だったが、その間の西側諸国の関与、手段、態度は、これを適当な時間的枠組の中に置いてみなければならず、そのためには少なくとも約三〇年以前にまでさかのぼることが必要だということであった。満州事変が極東における集団安全保障と国際政治について提起する問題は広範にわたっており、たとえこれまでの他の人たちの業績にさらに多くを負うことになるとしても、私としてはまず過去にさかのぼって十分検討することが必要だと思われた。満州事変はたいていの場合、一九四一年の太平洋戦争において頂点に達するその後の危機との関連でしか捉えられていないように思われる。このような見方は、幾多の安易な主張や議論を生んだが、そうした主張は、一九三一年以前の時期の探求に充てている。もちろん、歴史家をもって自認する者が本能的に適当だと考える方法によってであるが、それと同時に、イギリスではほとんどなじみのない試みだが、本書全体を通じ、外交政策の分析の中で数多くの密接に相関連する研究を結び合わせてみようとした。このことに関して一言ふれておかなければならない。
 歴史家としての勉強を重ねてきた多くの人びとと同様、私もまた、一部の政治学者が国際関係に適用される一般理論や予言的な定式の探求に当たっていることについて、深い疑念を抱いている一人である。国際紛争が人類そのものの破滅につながりかねない今日、国際紛争に対する包括的な説明と解答を見出そうという考えは、たしかに魅力的ではあろう。だが疑似神学的な理論定式を構築しようという試みは、歴史家がしばしば細事の中に迷いこんでしまうのと同様、無軌道な実りのない時間つぶしに堕してしまうだろう。些細な事実の概括ということを離れて、国際関係全体を規定する「法則」なるものが存在するとは思えないし、外交政策の決定というような問題に関する体系的な理論は、しばしば厳しい反論にさらされることになるだろう。それらはあまりにも静的だからである。外交政策において、重要な決定が意識的に行われるのはむしろ例外なのである。にもかかわらず、そのような動的な本質はあまり考慮に入れられていない。そのうえ、特定の場合におけるある一つの要素の相対的な重要性の評価に関しては、そうした理論は何も解答を与えてはくれない。また、現在その適用分野を急速に広げつつあるゲームの理論に関していえば、その研究者たちは必ずしも謙虚ではなく、国際関係にその理論を適用しても、ほとんど成果は期待できないだろう。
 国際関係の理論的研究のために今まで行われてきた主張のいくつかに対しては、このようにさまざまな反対論があるが、一方、伝統的な叙述方法による外交史も、それが大家の手になる場合でさえ、明らかに多くの点で問題を含んでいる。たとえば、私自身のものも含め多くの研究は、因果関係に関しては、たいていただあっさりとふれる(そこには、明示されていない、ときにはおそらくそれと意識されていない数多くの前提が存在している)程度だし、社会心理学のような隣接する学問分野における研究成果が利用されることはなかった。また、各国家は、それぞれ確立された整然たる目標と利害関係を有する、いわば球突きのボールのような個別的な単位としてとらえられているが、このような方法による国際史は、現在の国際政治の世界の──おそらく過去の国際政治の世界についても──実相にはほとんど迫っていない。この種の研究は現在退潮を見せてはいるものの、今もなお外交政策形成のきわめて複雑な性格(外交当事者たちに必ずしも意識されているとは限らない)を単純化し、ときには事実を歪曲していることも多い。それは、外交政策の一つの側面が、当局者たちの直面している他の争点と切り離されたり、国際的要因と国内政治における要因との相互利用が無視されたりしているためである。この問題に関する理論モデルは、それ自身は危険性をはらんではいるものの、それが適用される題材につねに柔軟に対応し、精密化されていくということであれば、その種のモデルによる問題の分析は、外交政策については考慮すべき要因があまりにも多い以上、少なくとも研究方向に対する道案内としては役立つことだろう。
 本書は、一九三一〜三三年危機の歴史的研究ではあるが、以上のことから、その中にスタンリー・ホフマンのいう国際関係における「長途理論」(the long road theory)をかなり意識的にとり入れたし、また数多くの関係文献に負うところも非常に大きい。だが、外交政策分析のこのような足場の方に読者の注意が向かないようにつとめた。また国際間の交渉が持ついろいろな側面を明らかにするために、ときには一つの出来事にさまざまな角度から検討を加えた。その点については、満州事変そのものを扱っている本書の第二部に基本的な型を見ることができる。年代順に配列した各章では、まず極東の情勢が、当時西側で一般に認識されていた形で概説され、ついで、その背後にあった、たとえば現地日本軍と東京の日本政府とのあいだの動きについての説明がつづく。そして、それに対する西側各政府と国際連盟の行動についての説明へと移っていくのだが、それによって、その時代について不案内な読者が最初にまず全体の状況を把握することができるだろう。さらにまた各国の個人、民間の圧力団体や新聞が彼らの目に映った東西の動きに対してどのような反応を示したかを検討する際の予備知識を得ることにもなるだろう。そして最後に各政府の政策決定にいたる経緯、それまでの国内世論についての政府部内の意見、国外からの非公式な情報や報告、とり得る手段、その中から一つのものが選択された、あるいは退けられた理由が述べられている。もちろん、事件によっては叙述の順序を変更しなければならないこともある。たとえば一九三二年の上海事変については、最初に出てくるのはイギリス、アメリカ両国の政策の比較と、両国間のやりとりである。要するに本書は純粋に歴史記述的なスタイルで書かれたものでもなければ、さまざまな要素を当世風に微細にわたって数えあげたものでもない。国際関係研究のこれら相反する二つの方法のそれぞれの信奉者にとっては、本書はおそらく意には満たないだろう。だがこの分野の研究にたずさわっている歴史家と他の県kしゅうしゃたちとのあいだのギャップを多少とも埋めることができれば、私としては十分満足するものである。
クリストファー・ソーン


クリストファー・ソーン
一九三四年、イギリス生まれ。オックスフォード大学セント・エドムンド・ホールで現代史を専攻。戦後の英国海軍に従軍、駆逐艦に乗り組んでいた経験がある。サセックス大学で国際関係論の教授を務めていたが、九二年に癌のため急逝。王立歴史学会、英国学士院の特別会員でもあった。
主要著書:The Approach of War,1938-1939(1967)/Allies of a Kind(1978)、邦訳『米英にとっての太平洋戦争』/Racial Aspects of the Far Iastern War of 1941-1945(1982)、邦訳『太平洋戦争における人種問題』/The Issue of War(1985)、邦訳『太平洋戦争とは何だったのか』

訳者:市川洋一
一九二五年生まれ。四七年に京都大学法学部を卒業。東洋レーヨン、東レ・エージェンシー勤務を経て八五年に退職。訳書:ソーン『太平洋戦争とは何だったのか』(一九八九年)、『太平洋戦争における人種問題』(一九九一年)、『米英にとっての太平洋戦争』(一九九五年)。いずれも草思社刊。