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立ち読みコーナー
満州事変とは何だったのか(下)
――国際連盟と外交政策の限界
クリストファー・ソーン / 市川洋一 訳
訳者あとがき

 本書の著者クリストファー・ソーンの主要な著書としては次の三つがあり、いずれも極東問題を扱ったものである。
 (1)The limit of Foreign Policy (1972)
 (2)Allies of a Kind (1978)
 (3)The Issue of War (1985)
 このうち最後のThe Issue of Warは『太平洋戦争とは何だったのか』という題名のもとに一九八九年に拙訳が草思社から刊行された。この本はソーンの太平洋戦争研究の集大成をなすものである。
 ここに『満州事変とは何だったのか』という題名のもとに訳出刊行された本書The Limits of Foreign Policyも、著者の研究のきっかけとなったのは太平洋戦争との関係であり、「まえがき」にもあるとおり、「私が満州事変について関心をそそられるようになったのは、第二次世界大戦の真の起点は……この一九三一年〜三二年危機の時期なのだ、と繰り返し主張されているのを耳にしてからであった」ということである。そこで著者は「満州事変とははたして何だったのか?」と問いかけ、本書が書かれることになった。
 著者によれば、一九三一年から一九四一年にいたる出来事はけっして意識的に計画されたものではなかったし、直接の結びつきもなかった。また満州事変は、イタリアのエチオピア侵略(一九三五年)、スペイン内乱(一九三六年)、ミュンヘン会談(一九三八年)、ドイツ軍のポーランド侵入(一九三九年)を経て一九四一年の真珠湾事件につながっていくものでもなかった。満州事変、上海事変、日本の国際連盟脱退とつづく一九三一〜三三年危機は、第一次世界大戦後に確立された世界平和維持機構の国際連盟が、一九二一〜二二年のワシントン会議で規定された極東体制に対する日本の攻撃を抑えることができず、連盟の当初から持っていた弱点が暴露された事件であり、したがって満州事変の意味は、「起点」、「出発点」としてではなく、いわば「帰結」、「到達点」として問われるべきものである、というのである。
 では、なぜ国際連盟は日本の行動を抑えることができなかったのか?
 著者によれば、ワシントン体制に対する日本の攻撃を国際連盟の場で収拾しようとしたことにそもそも無理があったという。それは国際連盟が当初から抱えていた構造的な欠陥に加え、国際連盟内にあって事態収拾に動いたイギリスをはじめとするヨーロッパ各国と、国際連盟の外にあって事態収拾に動いたアメリカとは、いずれも国内外のさまざまな要因のため外交政策に制約を受け、そのうえ日本を刺激してはならないという共通した感情があったため、誰も自分から進んで猫の首に鈴をつけようとするものはなく、協調した行動がとれなかったからだ、と著者はいう。
 この外交政策を制約した要因について、著者は厳しい批評眼をもって、主要各国の外交部門の構成と性格、政府内における位置と力関係、各国の軍事力、国内の政治経済情勢から、さらに第一次世界大戦後の対独賠償請求問題、戦時債務問題、軍縮問題をめぐっての英仏米の複雑な利害のからみ合いにわたり、詳細な分析の手を加えていく。そして大国の利己心が小国の理想主義に勝ったのだとか、イギリスの現実主義がアメリカの理想主義に勝ったのだとかいうのは、一つの神話にすぎないと著者は述べている。
 このイギリスとアメリカの対立、相克というのは、著者がもっとも深い関心をよせている問題であって、多くのページがこれに割かれている。そして英米両国の政策で目立つのは相違点よりもむしろ相似点であり、この相似点の方が多かったため、かえって両国の協調が妨げられたのだろうと著者はいっている。
 なお、この英米両国の対立、相克は、著者の極東問題研究における一貫したテーマであって、著者に主要著作の二番目にあげたAllies of a Kind は、太平洋戦争の戦略面での英米両国の対立を扱ったものであり、近く拙訳が草思社から刊行されるはずである。
 幕末の初代駐日イギリス公使オールコックの著『大君の都』(岩波文庫)の中に、アメリカ公使館書記官ヒュースケンの殺害事件など相次ぐ外国人襲撃事件に対して、イギリス、フランス、プロシア、オランダの四カ国代表は共同して幕府に対し厳重な抗議行動をとったが、アメリカ公使ハリスはこれに反対し、抗議行動には加わらなかったという話が載っている。ハリスがなぜ抗議行動に加わらなかったのかについては、何も記されてはいないが、英米両国の対日外交の初期にこのような事実があったということは、満州事変に際しての両国の行動を思い合わすとき、きわめて興味深いものがある。
 なおこの『満州事変とは何だったのか』では、事件そのものの経過よりも事件の進展に応じての西側各国内、各国家間のやりとりに多くのページが割かれていて、政府首脳、外交当局者、圧力団体の指導者、学識者など、このやりとりに関係する数多くの人物が登場してくるが、これらの人物がじつに生き生きと描き出されていることを最後に付け加えておきたい。
一九九四年八月  訳者


クリストファー・ソーン
一九三四年、イギリス生まれ。オックスフォード大学セント・エドムンド・ホールで現代史を専攻。戦後の英国海軍に従軍、駆逐艦に乗り組んでいた経験がある。サセックス大学で国際関係論の教授を務めていたが、九二年に癌のため急逝。王立歴史学会、英国学士院の特別会員でもあった。
主要著書:The Approach of War,1938-1939(1967)/Allies of a Kind(1978)、邦訳『米英にとっての太平洋戦争』/Racial Aspects of the Far Iastern War of 1941-1945(1982)、邦訳『太平洋戦争における人種問題』/The Issue of War(1985)、邦訳『太平洋戦争とは何だったのか』

訳者:市川洋一
一九二五年生まれ。四七年に京都大学法学部を卒業。東洋レーヨン、東レ・エージェンシー勤務を経て八五年に退職。訳書:ソーン『太平洋戦争とは何だったのか』(一九八九年)、『太平洋戦争における人種問題』(一九九一年)、『米英にとっての太平洋戦争』(一九九五年)。いずれも草思社刊。