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立ち読みコーナー
人は成熟するにつれて若くなる
ヘルマン・ヘッセ / フォルカー・ミヒェルス 編 / 岡田朝雄 訳
 老齢について

 老年は、私たちの生涯のひとつの段階であり、ほかのすべての段階とおなじように、その特有の雰囲気と温度、特有の喜びと苦悩をもつ。私たち白髪の老人は、私たちよりも若いすべての仲間と同じように、私たち老人の存在に意義を与える使命をもつ。ベッドに寝ていて、この世からの呼びかけがもうほとんど届かない重病人や、瀕死の人も、彼の使命をもち、重要なこと、必要なことを遂行しなければならない。年をとっていることは、若いことと同じように美しく神聖な使命である。死ぬことを学ぶことと、死ぬことは、あらゆるほかのはたらきと同様に価値の高いはたらきである──それがすべての生命の意義と神聖さに対する畏敬をもって遂行されることが前提であるけれど。老人であることや、白髪になることや、死に近づくことをただ厭い、恐れる老人は、その人生段階の品位ある代表者ではない。自分の職業と毎日の労働を嫌い、それから逃れようとする若くたくましい人間が、若い世代の品位ある代表者でないのと同様に。
 簡単に言えば、老人として自分の目的を果たし、自分の使命に恥じない好意をするためには、老齢と、それに必然的に伴うすべてのものを受け入れなくてはならない。それを肯定しなくてはならない。この肯定なくしては、自然が私たちに要求するものに従うことなくしては、私たちの年代の価値と意義──私たちが老いていようと若かろうと──は失われるのである。そして私たちは人生を欺くことになる。
 老齢が苦しみをもたらすこと、そしてその終点に死があることは誰でも知っている。私たちは年ごとにいけにえを捧げ、諦めなければならない。私たちは自分たちの感覚と力に不審を抱くことを学ばなくてはならない。つい先程までまだほんの短い散歩道であった道のりが、長く、難儀なものとなる。そしてある日、私たちはその道をもう歩くことができなくなる。私たちが一生のあいだずっとひじょうに好んで食べてきた食物を私たちは諦めなくてはならない。肉体的な喜びや楽しみはしだいに稀になり、それを味わうにはますます高価な支払いが必要になる。それからすべての身体的欠陥と疾病、感覚の衰弱、器官の疲弊、そして特にしばしば長い、不安な夜に訪れる多くの苦痛──これらすべては拒否できるものではない。それは苦い現実である。
 けれども、このような衰弱の過程に身を任せるのみで、老齢にもそのよいところ、その長所、その慰めの源と喜びがあることを見ないとすれば、みじめで悲しいことであろう。二人の老人が出会ったとき、ただいまいましい痛風のことだけを、こわばった手足と、階段を上るときの呼吸困難だけを話題にすべきではない。彼らは自分たちの苦痛と怒りだけを交換するのではなく、楽しい慰めになる体験や見聞を交換すべきであろう。そういうことはたくさんあるのだから。
 老人の生き方のこのような肯定的で美しい側面について、若い人びとの生活には何の役割も演じないような力や忍耐や喜びの源泉を私たち白髪の老人が知っていることについてあなたがた読者の注意をうながそうと思うとき、宗教や教会の慰めについて説くことは私には許されないことだ。それは牧師の仕事である。しかし私は老齢が私たちに贈ってくれるいくつかの贈り物の名を感謝をこめて挙げることができる。それらの贈り物のうち私にとって最も価値あるものは、長い人生をすごしたのちにも覚えていて、活力を失うにつれてそれ以前とはまったく異なった関心で見るようになったいろいろなものの姿である。
 六十年、七十年来もうこの世にはいない人びとの姿と人びとの顔が私たちの心に生きつづけ、私たちのものとなり、私たちの相手をし、生きた眼で私たちを見つめるのである。いつの間にかなくなってしまった、あるいはすっかり変わってしまった家や、庭や、町を、私たちは昔のままに、完全な姿で見る。そして私たちが何十年も前に旅の途上で見たはるかな山々や海岸を、私たちは鮮やかに、色彩豊かに私たちの記憶の絵本の中に再発見する。見ること、観察すること、瞑想することが、しだいに習慣となり、訓練となって、気づかぬうちに観察者の気分と態度が私たちの行動全体に浸透してくる。望みや夢想や欲望や情熱に駆り立てられて、私たちは人間の大部分がそうであるように、私たちの生涯の何年も何十年ものあいだ、あせり、いらいらし、緊張し、期待に満ち、実現あるいは幻滅のたびごとに激しく興奮してきた。──そして今日、私たち自身の絵本を注意深くめぐりながら、あの疾駆と狂奔から逃れて「ヴィータ・コンテムプラティーヴァ」(vita contemplativa)、すなわち「静観の生活」に到達したことが、どんなにすばらしく、価値のあることであるかに驚嘆するのである。
 ここ、この老人の庭には、昔ならその世話をすることなど考えもしなかったたくさんの草花が咲いている。そこには忍耐の花というひとつの高貴な草花が咲く。私たちはしだいに沈着になり、温和になる。そして介入と行動への欲望が少なくなればなるほど、自然の生命や同胞の生命に関心をもって眺め入り、耳を傾け、それらが私たちのかたわらを通りすぎるとき批判することなく、その多様性にいつも新たな驚きをもって、時には同情と静かな憐れみの気持ちで、時には笑いと明るい喜びをもって、ユーモアの心をもって眺める能力がますます大きくなってくるのである。
 つい先頃、私は私の菜園に立って、焚き火をして、木の葉や枯枝をくべていた。そのとき八十歳くらいの老婆がシロサンザシの生垣のそばを通りかかり、立ち止まって私を見つめた。私は挨拶した。すると彼女は笑って言った。「焚き火をなさるなんて、ほんとにいいことですね。私たちの年になると、そんなふうにだんだん地獄とも近づきにならなくてはなりませんよね」。これで会話の調子が決まった。私たちはお互いにいろいろな苦痛や不自由を嘆きあったが、終始冗談の口調であった。それでもこのおしゃべりの終わりに、本当は私たちはまだそれほど年をとっているわけではなく、私たちの村に百歳の女性がまだ生きているのだから、私たちは年寄りのうちにも入らないということを承認しあった。
 若い人びとが、その力と無知の優越性をもって私たちを笑いものにし、私たちのぎこちない歩き方や、白髪や、筋だらけの首を滑稽だと思うなら、私たちは昔、同じように力と無知をもって老人をせせら笑ったことがあったことを思い出そう。そして敗北感を味わうのではなく、優越感をもって私たちが年をとってそのような年代を卒業し、ちょっぴり賢くなり、辛抱強くなったと考えよう。

 (一九五二年)


ヘルマン・ヘッセ
一八七七〜一九六二年。ドイツ、ヴェルテンベルク州生まれ。詩人、作家。一九四六年ノーベル文学賞受賞。代表作に『郷愁』『車輪の下』『デーミアン』『シッダルタ』などがある。

編者:フォルカー・ミヒェルス
ドイツの出版社ズールカンプ社の編集顧問。ヘッセ研究の権威者。ヘッセの遺稿・書簡を整理し、『蝶』『色彩の魔術』(以上、岩波同時代ライブラリー刊)などを編集してヘッセ復権に貢献。

訳者:岡田朝雄
一九三五年東京生まれ。東洋大学教授。著書に『ドイツ文学案内』『楽しい昆虫採集』(共著)、訳書にヘッセ『蝶』『色彩の魔術』、F・シュナック『蝶の生活』などがある。