アメリカの日本空襲にモラルはあったか
――戦略爆撃の道義的問題
序
私は数年前、第二次大戦におけるアメリカ陸軍航空軍(Army Air Forces; AAF)の公史のなかに、注目すべき一節を見いだした。それによると、在欧州アメリカ戦略航空軍司令官は、ドイツ国民に爆撃を加えることで彼らの指揮阻喪を狙うという勧告に反対したというのである。航空群の戦史官らによれば、この将校は爆撃にともなう道義的責任を繰り返し提起し、ワシントンの航空軍司令部は司令部で、こうした作戦は航空軍政策と国家的理念に反するという理由で彼を強く支持したのである。野蛮な残虐行為に満ちた戦争のさなかに、アメリカの将軍たちが軍事的決定を、少なくとも部分的には道義的関心に基づいておこなったという事実は、驚くべきものであると思ったのである。
いくつかの疑問がたちまち脳裏に浮かんだ。アメリカの航空軍指導者たちは道義的問題をどのようにとらえたのであろうか。自分たちの司令部がアメリカ国民のものとする理念を、彼らも共有していたのであろうか。道義的問題に関する彼らの見解は、彼らの航空攻撃のやり方にどう影響したのであろうか。
航空群の記録文書の内容に熟考と検討を加えることによって、さらなる研究方向が示唆された。航空軍の指導者らが道義的問題についてどのように考え、どうそれに対応したかを理解するためには、彼らの信条を調べ、それが爆撃政策と実践に及ぼした影響を検討することが不可欠であった。航空軍指導者らが受けた訓練を含め、彼らの個人史を検討しなければならなかった。大統領、陸軍長官、および他の陸軍指揮官たちは航空軍に対し多大な責任をもっていたので、これらの首脳が道義的問題をどのように見ていたか、彼らの態度がアメリカの爆撃にどのように影響したかの見究めも必要であった。似たような疑問は、道義的に見て重要である空からの軍事行動に関与した航空軍将校や原子力科学者などの民間人といった、より下のレベルの人々についても浮かんだ。
公式の記録に見られる食い違いが、さらなる疑問を生んだ。そこに示唆されているように、もし航空軍指導者たちが、一般市民を爆撃したり恐怖に陥れたくはないと思っていたのであれば、なぜ彼らはドイツ、日本、バルカン諸国でそうしたことを実行したのであろうか。道義的問題を提起したと言われている当の将官が、なぜ戦後になって、道義的あるいは宗教的配慮から都市爆撃に反対するに至った事実を否定したのだろうか。航空群が本国と世界に示そうとしたイメージと、その機構を運営した人々の個人的感情は、どのように区別されるのであろうか。
そうした疑問に答える努力は、結局、いくつかの一般化につながった。一つは、アメリカの爆撃に関与した事実上すべての重要人物が道義的問題に関して見解を表明したということであり、彼らにとり道義的問題とは、図書館、聖堂、修道院、有名な美術品といった文明の所産に対する航空攻撃をも指してはいたが、普通には、都市および一般市民に対する爆撃を意味していた。第二は、いくつかの戦時組織のメンバーは道義的問題に対して共通の見解を有する傾向があったが、航空軍指導者のすべて、政治家のすべて、あるいはアメリカの戦力行使方法を決定した一団のメンバーすべてを、単一の枠に押し込めるのは不可能だということである。航空戦を実施した人々や、彼らに助言を与えた人々は、爆撃が提起する道義的問題については相互に分裂していたし、ときには自身の内部でも分裂していた。第三は、道義的制約は軍事的必要性と称するものにほとんど例外なく屈服したが、軍事的必要性の意味については重大な論争があったということである。
本書において道義的問題の役割を説明するには、アメリカの航空戦史の一部を語る必要があった。しかしそれは包括的な歴史ではない。海軍および海兵隊の航空戦が除外されているし、戦闘機および戦術爆撃機の部隊についてはほとんど述べていない。当時、あるいは振り返ってみて重要な道義的疑問を提起した戦略爆撃の事例のみが検討されている。航空軍に勤務した人々は、本書の一部を奇異に感じ、身に覚えがないと思うかもしれないが、それは、そこで焦点を当てられているいくつかの問題が、第二次大戦中、彼らに対して強調されることが決してなかったからだ。彼らの多くがきわめて鮮明に思い出すもの、すなわち、仕事を遂行する決意、エンジンを轟かせ巨体を振動させて離陸を待っている何百という爆撃機の威容、くぐもった赤い閃光に照らしだされた煙の塊りのなかを飛行する感覚、友情や戦友の死といったものは、本書ではほとんど目にできない。第二次大戦をくぐり抜けた一般市民も、本書のなかに、まったく記憶になり数多くのことを見出すかもしれない。これは、他の交戦国政府と同様に、彼らの政府がある種の微妙で論争の余地ある出来事については大衆に情報を知らせなかったことにもよる。
私は数年前、第二次大戦におけるアメリカ陸軍航空軍(Army Air Forces; AAF)の公史のなかに、注目すべき一節を見いだした。それによると、在欧州アメリカ戦略航空軍司令官は、ドイツ国民に爆撃を加えることで彼らの指揮阻喪を狙うという勧告に反対したというのである。航空群の戦史官らによれば、この将校は爆撃にともなう道義的責任を繰り返し提起し、ワシントンの航空軍司令部は司令部で、こうした作戦は航空軍政策と国家的理念に反するという理由で彼を強く支持したのである。野蛮な残虐行為に満ちた戦争のさなかに、アメリカの将軍たちが軍事的決定を、少なくとも部分的には道義的関心に基づいておこなったという事実は、驚くべきものであると思ったのである。
いくつかの疑問がたちまち脳裏に浮かんだ。アメリカの航空軍指導者たちは道義的問題をどのようにとらえたのであろうか。自分たちの司令部がアメリカ国民のものとする理念を、彼らも共有していたのであろうか。道義的問題に関する彼らの見解は、彼らの航空攻撃のやり方にどう影響したのであろうか。
航空群の記録文書の内容に熟考と検討を加えることによって、さらなる研究方向が示唆された。航空軍の指導者らが道義的問題についてどのように考え、どうそれに対応したかを理解するためには、彼らの信条を調べ、それが爆撃政策と実践に及ぼした影響を検討することが不可欠であった。航空軍指導者らが受けた訓練を含め、彼らの個人史を検討しなければならなかった。大統領、陸軍長官、および他の陸軍指揮官たちは航空軍に対し多大な責任をもっていたので、これらの首脳が道義的問題をどのように見ていたか、彼らの態度がアメリカの爆撃にどのように影響したかの見究めも必要であった。似たような疑問は、道義的に見て重要である空からの軍事行動に関与した航空軍将校や原子力科学者などの民間人といった、より下のレベルの人々についても浮かんだ。
公式の記録に見られる食い違いが、さらなる疑問を生んだ。そこに示唆されているように、もし航空軍指導者たちが、一般市民を爆撃したり恐怖に陥れたくはないと思っていたのであれば、なぜ彼らはドイツ、日本、バルカン諸国でそうしたことを実行したのであろうか。道義的問題を提起したと言われている当の将官が、なぜ戦後になって、道義的あるいは宗教的配慮から都市爆撃に反対するに至った事実を否定したのだろうか。航空群が本国と世界に示そうとしたイメージと、その機構を運営した人々の個人的感情は、どのように区別されるのであろうか。
そうした疑問に答える努力は、結局、いくつかの一般化につながった。一つは、アメリカの爆撃に関与した事実上すべての重要人物が道義的問題に関して見解を表明したということであり、彼らにとり道義的問題とは、図書館、聖堂、修道院、有名な美術品といった文明の所産に対する航空攻撃をも指してはいたが、普通には、都市および一般市民に対する爆撃を意味していた。第二は、いくつかの戦時組織のメンバーは道義的問題に対して共通の見解を有する傾向があったが、航空軍指導者のすべて、政治家のすべて、あるいはアメリカの戦力行使方法を決定した一団のメンバーすべてを、単一の枠に押し込めるのは不可能だということである。航空戦を実施した人々や、彼らに助言を与えた人々は、爆撃が提起する道義的問題については相互に分裂していたし、ときには自身の内部でも分裂していた。第三は、道義的制約は軍事的必要性と称するものにほとんど例外なく屈服したが、軍事的必要性の意味については重大な論争があったということである。
本書において道義的問題の役割を説明するには、アメリカの航空戦史の一部を語る必要があった。しかしそれは包括的な歴史ではない。海軍および海兵隊の航空戦が除外されているし、戦闘機および戦術爆撃機の部隊についてはほとんど述べていない。当時、あるいは振り返ってみて重要な道義的疑問を提起した戦略爆撃の事例のみが検討されている。航空軍に勤務した人々は、本書の一部を奇異に感じ、身に覚えがないと思うかもしれないが、それは、そこで焦点を当てられているいくつかの問題が、第二次大戦中、彼らに対して強調されることが決してなかったからだ。彼らの多くがきわめて鮮明に思い出すもの、すなわち、仕事を遂行する決意、エンジンを轟かせ巨体を振動させて離陸を待っている何百という爆撃機の威容、くぐもった赤い閃光に照らしだされた煙の塊りのなかを飛行する感覚、友情や戦友の死といったものは、本書ではほとんど目にできない。第二次大戦をくぐり抜けた一般市民も、本書のなかに、まったく記憶になり数多くのことを見出すかもしれない。これは、他の交戦国政府と同様に、彼らの政府がある種の微妙で論争の余地ある出来事については大衆に情報を知らせなかったことにもよる。
ロナルド・シェイファー
カリフォルニア州立大学ノースリッジ校歴史学教授。著書に『第一次世界大戦下のアメリカ』などがある。
カリフォルニア州立大学ノースリッジ校歴史学教授。著書に『第一次世界大戦下のアメリカ』などがある。