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立ち読みコーナー
今日からちょっとワイン通
山田健 著
まえがき

 ワイン通には、変な人が多い。
 これは、万国共通の特徴である。当然、ぼくのまわりにも、信じられないような変人がうようよ生息している。ついこのあいだも、こんなことがあった。東京・赤坂の某クラブでのことだ。
 その六十年輩の「大ワイン通氏」は、初対面のぼくに、
「なにしろワシは、四つの頃から六十年間ワインを飲み続けとるんだからな」
 と、いきなり自慢しただけのことはあって、実にタンゲイすべからざる、独自の流儀を、たっぷりと身につけていらっしゃった。まずは「秘技ダブル・デカント」である。
「最近のソムリエは、本当のデカントの仕方を知らん」
 そうおっしゃる氏は、ぼくの目の前で、ボルドーのシャトーものを、ジャバジャバッと実に乱暴にデカンタに移し、瓶底に残ったオリをグルングルンッと振り回したあげくに、ジャッと捨て、
「さて、ここからがポイントだ」
 なんと、デカンタのワインを、もとの瓶に戻し始めたのだ。
「こうやって二回デカントして初めて、赤ワインの風味は花開くものなのだよ」
 残念ながら、彼の両手は決して器用には出来ていなかったため、テーブルにこぼれて飛び散ったワインで、ぼくのシャツやらズボンやらは、マッカッカの水玉模様になってしまったのだけれど、
「おいしいワインを飲ませてあげたい!」
 という彼の熱意の前には、ぼくの服が汚れちゃうことなんか、どうってことはないようなのだった。
 次いで彼は、「秘技追い注ぎ」というのを、やって見せてくれた。つまり、ぼくのグラスになみなみと注いだワインを「半分グイッとやりなさい」と命令し、そこにすかさずワインを注ぎ足して、
「さ、もう一度飲みなさい。で、どうだね」
 とたずねたのだ。どうだね、と言われたって、別にどうってこともなかったので、ぼくがポカンとしていると、
「あああ、これだから素人は困るな。最初のひとくちと次のひとくちじゃ味が違っただろ。赤ワインの本当のうまさというものはね、こうやって半分追い注ぎをした時に、初めて出るものなんだよ」
 その時、ぼくの隣でご相伴にあずかっていた、某テレビ局のプロデューサー氏が、
「すいません。どうでもいいですけど、このワイン、ちょっと温かすぎません? もう少し冷やした方が、おいしいと思うんだけどなァ……」
 という、タブーとしか言いようのない恐ろしいセリフを、それもまた実にノーテンキな口調で口走ったのだった。ぼくはもう、びっくりして飛び上がりそうになってしまった。
(そんなこと、分かってるの! だけどそれを言っちゃったら、このオッサン怒るでしょ?!
 案の定、ワイン通氏は、大きな目玉をさらにギョロリとむいて、
「赤ワインってものはね! このくらい温まって、風味がボヤーッとだらけたくらいの時が本式なんですよ!」
 それから三十分近くも、延々とお説教をくらってしまったのだ。
 ワインがこんなにブームなのに、あいかわらず「でも、ワインって、やっぱり難しいでしょ」という人が、いっこうに減らない理由は、まちがいなく、こういうオジさんたちの存在にある。

 ところで──と、ここで話が急に変わるようで申し訳ないのだけれど、「知識の使い方にも二種類あるんだよ」と教えてくれたのは、舞台美術家の(というか、最近では「小説家の」だろうか?)妹尾河童さんだった。
 ぼくは、サントリーという会社の宣伝部に勤めていて、通常はワインのテレビ・コマーシャルをつくったり、新聞広告をつくったり、あるいは会社があつかっている千数百種類のワインの醸造元を取材し、その解説文を書いたりするのが本業なのだけれど、そのかたわらで、サントリー音楽財団というところから出版されている『ポリフォーン』という音楽雑誌の編集も、長年手がけてきた。河童さんとは、その関係で知り合ったのだが、彼によると、
「かつてね、『NINAGAWA・マクベス』という芝居で、舞台の上に仏壇を作ったことがあったんです。ところが一口に仏壇といっても、各宗派や地域によって違いがあるんです。そこで、全国仏壇展やあちこちの仏具屋さんに行って調べまくりました。京都などは本願寺系の金色燦然とした仏壇が多いけど、四国や九州は禅宗系の紫檀や黒檀の木彫りの無彩色の仏壇が多い。創価学会系は真ん中に厨子があるとかね。もし禅宗系の仏壇しか知らない人が仏壇を作った場合、きっと自分が知っている事実に引っ張られて、木彫りのままの仏壇を作ってしまう筈です。それでは困るんですよね」
 そこで河童さんはどうしたか。
「ぼくはそれぞれの仏壇の個性的な装飾をはぎ取っていって、仏壇に共通する要素だけを残しました。それを元にして、どの宗派にも属さない仏壇を新たに創りだしたんです」
 つまり、世の中にはせっかくの知識に囚われてしまう人と、その知識から自由になれる人がいるということだ。
 冒頭のワイン通氏にしたってそうなのだ。きっと、彼自身にとっては、あのやり方が、本当に一番おいしい方法なのに違いない。ただそのやり方は、河童さん流に言うなら、ちょっぴり「禅宗派の仏壇」風にすぎるのだ。そして、たいていのワイン通が、多かれ少なかれ「変な人」に見える理由も、まさにそこのところにある。「禅宗派」も「本願寺派」も、みんながみんな、自分の流儀に自信を持ちすぎているのである。
 もちろんぼくは、河童さんみたいに「どの宗派にも属さないワインの世界を新たに作りだす」なんて大きなことは、とうてい言えない。ただ、
「でもさ、そろそろ堅苦しいルールとか、作法とか、決まりごとなんかは笑い飛ばして、もっと自由に飲んだ方が、きっと楽しいと思うよ」
 くらいのことを言える程度には、世界中のワインを、世界中の蔵元や酒場で飲んできたような気がする。ま、そういうわけで、この本は、いわゆる「マジメ」なハウ・ツーものではない。したがって、この本を読んでも、世間に通用する「立派なワイン通」になることは、たぶん出来ないだろうと思う。せいぜい「ちょっとワイン通」になるくらいが関の山である。
 でも、本当のワインの楽しさは、むしろその、「ちょっとワイン通」くらいのところに、意外なほどたくさんころがっているものなのである。


山田健
1955年生まれ。78年東京大学文学部卒。同年サントリー宣伝部にコピーライターとして入社。ワイン、ウイスキー、音楽等の広告コピーを作成するかたわらで、86年からは、同社の「世界のワインカタログ」の編集長を兼任。著書に『今日からちょっとワイン通』『バラに守られたワイン畑』『2000円前後で買える名人のワイン』(以上、草思社)、『現代ワインの挑戦者たち』(新潮社)他。