愛することができる人は幸せだ
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感情や感傷を私は非難したり憎んだりせず、自問する。「そもそも私たちは、もしも私たちの感情によってでなかったとしたら、いったい何によって生き、どこで生きていることを感じるのか?」と。お金のつまった財布も、ゆたかな銀行口座も、優雅なズボンの折り目も、かわいらしい女の子も、もし私がそれに何も感じなければ、私の心が感動しなければ、それは私にとっていったい何なのだろう? 何にもなりはしないではないか。他人の感傷性をいくら憎むことができても、私自身の感傷を私は愛し、むしろ少し甘やかしている。感情、優しさ、心の鋭敏な感受性、それらは私の授かりもので、私はそれの助けで生きて行かなければならないのだ。もし私が自分の筋肉だけを頼りにして、レスラーやボクサーになっていたなら、どんな人間も私に筋肉の力を下等なものとみなせとは要求しないであろう。私が暗算が得意で、大きな事務所の支配人であったなら、暗算の特技を価値の低いものとして軽蔑せよとは、どんな人間も私にあえて要求しないであろう。ところが詩人に対しては現代はそれを要求しているし、幾人かの若い詩人たちも自らすすんで自らにそれを要求している。まさに詩人の本質をなすものを、心の多感さを、女に惚れ込む能力を、愛して、熱狂して、没頭して、感情の世界において未聞のこと、異常なことを体験する能力を──まさにこうした彼らの長所を憎み、それを恥じ、「センチメンタル」と呼ぶことのできる一切のものに抵抗すべきであると要求している。よろしい。そうしたいならするがよかろう。私はその仲間入りはしない。私にとっては、私の感情の方が、世界のすべての威勢のよい傲慢さなどより千倍も好ましい。そして戦争の年月に、傲慢で果敢な連中の感傷に雷同して殺し合いの乱射に熱狂することを私にさせないでくれたのは、ひとえに私の感情なのである。
断章24『ニュルンベルクの旅』(一九二七年)より
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この世を見通し、それを解明し、それを軽蔑することは、偉大な思想家たちの仕事であろう。けれど私にとって大切なのは、この世を愛しうること、それを軽蔑しないこと、この世と自分を憎まないこと、この世と自分と万物を愛と感嘆と畏敬の念をもって眺めうることである。断章25『シッダールタ』(一九二二年)より
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愛に関しては、ちょうど芸術の場合と同じことが言える。つまり、最も偉大なものしか愛せない人は、最もささやかなものに感激できる人よりも貧しく、劣るのである。愛というものは、芸術の場合もそうだけれど、不思議なものである。愛は、どんな教養も、どんな知性も、どんな批評もできないことができるのである。つまり愛はどんなにかけ離れたものをも結びつけるし、最古のものと最新のものをも併置させる。愛は一切のものを自己の中心に結びつけることによって、時間を克服する。愛だけは人間にとって確実な支えとなる。愛だけが、正当性を主張しないがゆえに、正当性をもつ。
断章26「文学における表現主義」(一九一八年)より
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全体として私たちの時代が信じられなくなればなるほど、人間性がますます堕落し、枯渇していくのが見られると確信すればするほど、いっそう私には革命がこの堕落を引き留める手段であるなどとは考えられなくなり、いっそう深く私は愛の魔力を信じるようになります。すべての人にとが声高く賛成することに沈黙していることは、すでに何らかの価値のある行為です。人間とあらゆる制度に敵意を抱かずに微笑して眺め、世界における愛の欠乏を、ささやかな私的な領域で愛を増すことで埋め合わせること、つまり、仕事での誠意を増すこと、より以上の忍耐をもつこと、嘲笑や批判で若干の安っぽい復讐をすることを断念すること、こうしたことは、私たちがすることのできるささやかないくつかの手段なのです。断章27『書簡選集』(一九七四年)より
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世界と人生を愛すること、苦しいときにも愛すること、太陽のあらゆる光線を感謝の思いで受け取ること、そして苦しみの中でも微笑むことを忘れないこと、──あらゆる真正の文学のこの教えは、決して時代遅れになることはなく、今日では、これまでのいつの時代にもまして必要不可欠なものであり、感謝しなくてはならないものである。断章28『シュトルム──メーリケ往復書簡』(一九一九年)の「まえがき」より
ヘルマン・ヘッセ
一八七七〜一九六二年。ドイツ、ヴェルテンベルク州生まれ。詩人、作家。一九四六年ノーベル文学賞受賞。代表作に『郷愁』『車輪の下』『デーミアン』『シッダルタ』などがある。
編者:フォルカー・ミヒェルス
ドイツの出版社ズールカンプ社の編集顧問。ヘッセ研究の権威者。ヘッセの遺稿・書簡を整理し、『蝶』『色彩の魔術』(以上、岩波同時代ライブラリー刊)などを編集してヘッセ復権に貢献。
訳者:岡田朝雄
一九三五年東京生まれ。東洋大学教授。著書に『ドイツ文学案内』『楽しい昆虫採集』(共著)、訳書にヘッセ『蝶』『色彩の魔術』、F・シュナック『蝶の生活』などがある。
一八七七〜一九六二年。ドイツ、ヴェルテンベルク州生まれ。詩人、作家。一九四六年ノーベル文学賞受賞。代表作に『郷愁』『車輪の下』『デーミアン』『シッダルタ』などがある。
編者:フォルカー・ミヒェルス
ドイツの出版社ズールカンプ社の編集顧問。ヘッセ研究の権威者。ヘッセの遺稿・書簡を整理し、『蝶』『色彩の魔術』(以上、岩波同時代ライブラリー刊)などを編集してヘッセ復権に貢献。
訳者:岡田朝雄
一九三五年東京生まれ。東洋大学教授。著書に『ドイツ文学案内』『楽しい昆虫採集』(共著)、訳書にヘッセ『蝶』『色彩の魔術』、F・シュナック『蝶の生活』などがある。