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立ち読みコーナー
日本占領下 バリ島からの報告
――東南アジアでの教育政策
鈴木政平

第九節 「起きよ目醒めよ」──日本の教化方針

──兄
 度々申しましたように、オランダは愚民政策、文盲政策とともに、分割統治主義を採っていました。彼らが最も恐れたのは、住民の自覚と、その団結とでありました。原住民の教育をすすめ、文化や民度を向上させることは、彼らの眠れる意識──民族的自覚をゆり起こす結果になる。出来るだけ長く彼らをその安眠の中に静止させねばならない。これが愚民政策の因って来たる理由であったでしょう。植民地を本国の利益の対象としてのみ見る限りにおいて、この政策が合理的であり、最も賢明なものだったことも申すまでもないでしょう。
 しかし我が八紘一宇の精神は、そうしたことを許すべくもありません。日本は占領地を日本の食物として見るものではない。彼らには彼らの生活があろう。彼らに何らかの天分なり能力なりがあるならば、それは開発されねばならない。彼らを強いて文盲に閉じ込め、彼らの力の発芽を閉ざしておくことは天理に反する。──かくして日本の教化方針の根本は、彼らの睡れる魂をゆり起こし、彼らの力を伸ばし、もって彼らに光を与えることでなければなりません。もとよりそれは、どこまでも日本を宗主と仰ぎ、日の丸の旗の下に大東亜の一環になるという条件の下においてではあるが、ともあれ彼らを愚昧に放置するは日本の本旨ではない。かくて日本は教育の普及徹底、文化の向上促進をもってその政策として、原住民にのぞんでいるのであります。
 「オランダの教化方針(といわんよりも、その政策の根本理念といった方がむしろ正しいが)を一言にあらわすならば、『ねむれ、ねむれ』というところにあった。これに対して日本は『起きよ目醒めよ』と叫ぶ」
 これは我々の上司のある一人が申されたことでありますが、これは両者の根本理念の相異をいみじくも簡明かつ具体的に喝破したものと申さねばなりません。もちろん狡猾な英蘭などから見たら、日本の方針のごときは、笑うべき愚策であり、憐むべき馬鹿正直でありましょう。「今に見ろ、飼い犬に手をかまれるときがやってくるぞ」。彼らはあるいは笑っているかも知れません。

──兄
 日本人自身の中にもそういうことを心から心配している人たちがいます。かつて某専門学校の教授が、南洋〔日本が国際連盟の委託をうけて統治していた南洋諸島〕を経由して当地の視察に来たことがありました。熱心な視察者でありましたが、その人は南洋の教育の実情を語って、今南洋で一番いけないのは公学校などの優等修了者である。生半可な智恵をつけられた彼らは、自ら労することを厭うて、なるべく楽しみながらよい生活をすることばかりを考えている。朝鮮にも台湾にもまったくこれと同様な現象が見られる。独立だの自由だのという、小生意気な民俗論などをふりまわすのも、大概はこういう手合いの中から出ている。内地でもかつて妙な社会思想にかぶれたのは、高い教育を受けたものほど多かった。内地でさえそうである。いわんや異民族においておやで、生半可な教育など、無教育の純朴なるに到底如くものではない──こういう意見をもらしていました。
 これは一応もっともな意見だと、私も思わぬではありません。
 正直なところ、私などの心の一隅にも、若干そうしたものがいまだ割り切れずに残っているものもあります。例えば、昨日までオランダによって極度に警戒されていた団体訓練を、今日日本は教育方針の一として真正面にかかげ、またその方向に着々実践的な効果もあげています。さらに男子中等学校には近く軍事教練が課せられんとし、○○担任の地域では早くも青年団や警防団が組織されつつあると伝えられていますが、「少し早くはないかな」といった心配──軽い疑問が起こるようなことがないでもありません。

──兄
 しかし、現実にぶつかるときには、そうしたものもたちまち雲散霧消してしまって、この子供を、この教員をこのままに放っておけるものかといった誠実な感情が、油然と湧きあがってくるのを禁じ得ないのであります。何のために生きているか、まるで頓着のないようなうつろな眼をした善良なものどもを見るときに、「右へならえ」一つろくに出来ない、あわれな教員たちを見るときに、日本人なら誰だってじっとしてはおられないのであります。私はこのことを、自分一人の体験を通じてのみ申すのではありません。これには幾多の客観的な例証があるのであります。
 皇軍によって占領された各地へいまだ軍政要員が進出しない以前、原住民の教育に当たったものは軍人でした。かつて一度も教壇に立った経験のない、ズブの素人の軍人(多くは下士官以下)の多数が、あるいは日本語講座に、あるいは体操の教授に、唱歌や遊戯の指導にあつまり出したのであります。そして、それらはおそらく上官の命によったのではなく、彼らの自発的な意志に発したものだったでしょう。その素人の軍事教員たちが、いかに感動すべき熱心さをもって原住民を指導し、おどろくべき生家をあげたことか。これは皇軍占領地のすべてに共通した現象であったと聞いています。現に今私たちがやっている日本語学校の前身は、陸軍の兵隊さんによって開かれ、水平さんによって継承されたものであり、今日本語学校の助手になって我々を補佐している原住民は、その水平さんたちの一番弟子、二番弟子といった連中なんです。

──兄
 これらの事実は日本人のすべてが教育者であることを最も雄弁に物語るものでなくてはなりません。至らぬもの、足らざるものを見ては知らん顔で見過ごせないのが、大和民族共通の天性、日本人の民族的良心なのです。かく見てくるとき、私は八紘一宇の皇ボ〔天皇による統治〕は決して民族的血液から切りはなされた単なる理念ではないことをしみじみ拝察せざるを得ないのです。そして我々は今次の事変および戦争において、特にこうした軍人の素人教員の多く現われていることを見るにつけても、今日の時代における、この皇ボの輝かしさを痛感せずにはいられないのであります。もとより国策としての教育の普及徹底と、この現地の活発な教育的実戦とは、相呼応したものと申さねばならないでしょう。等しく御稜威に照らし出された日本人的な高い良心が、一つは国策となり、一つは実践となったまでで、その実体は等しく一つであります。

──兄
 しかし私は日本のこの国策を単なる日本の民族的良心の発露としてのみ理解しているものではありません。それはまた実に厳たる大東亜的要請の現われでもあります。大東亜戦争の究極の目標が、大東亜を欧米勢力の桎梏から解放して、大東亜人の大東亜をつくり、大東亜本来の面目を再現するにあることは申すまでもありません。もし大東亜の諸民族が、すでに日本に近い程度の自覚と実力とを備えていたならば、今日までのような惨めな眼にあっていないだろうことは、何人にも見やすい道理でなければなりません。大東亜建設の基本的条件は、圏内諸民族の力を培い、その自覚を促すとともに、それを同一の理念と共通の感情と意志によって結合させるところにあります。つまり大東亜を構成する一本一本の柱を強靱なものに仕立てて、それを大黒柱たる日本を中心にがっちりと統合していくところにあるのです。もしそれが出来ないならば、いかにひとり日本が頑張ってみたところで、この世界的大世帯を、世界勢力の旋風の真っただ中において支えていくことはなかなかもって容易ならぬことでなければなりません。かくて民を開発し、民度を高め自覚を促すことは、実に大東亜建設の基礎を培うことにほかなりません。ましていわんや、これが今日痛切に要求されている戦力増強にも叶うにおいておやであります。民の自覚と理解が伴うか伴わぬかが、戦力に影響し、能率に関係することの大なるは、改めて申すまでもありません。労務からいっても、運輸や防衛からいっても、これは説明を要せぬほど明らかなことです。魂なきものがいくらあつまってみたところで、それは力ある戦力にはなりません。民を開発し、民の自覚を促すことは、実に戦勝への基礎を固めることであります。
 そしてそれが同時に、日本本来の理想とも合致し、大東亜人の幸福をも結果する。日本が愚民政策の代わりに自覚政策を、文盲政策の代わりに開発政策を採る所以は、また実にここに存しているものと私は理解しているのであります。
 しかして高き御稜威と日本の大きな実力が背景をなす限り、よしんばこうした開発政策の結果が原住民を民族主義的に智恵づけて、ある中間段階においては、飼い犬に手をかまれるような事態が現われようとも、日本の道義的包容力と誠実は、究極においてこれを覆い、これを同化し、これを導き得るものと、我々は日本人としての自信をもつものです。オランダは、道義的に見て実力的に見て、この自信がもてなかったのではないでしょうか。だから陰の手を用いたのです。考えてみれば無理もない。あの貧弱低劣な老小国に、自己に何十倍するこの厖大な地域と六千余万の住民とを真正面から四つ相撲で治められる力があろう道理はありません。これを思うとき、我々はまたしても皇国の御民としてこの聖代に生まれ合わせたよろこびと誇りと責任とを感ぜずにはいられないのであります。