新装版 楽しい鉱物学
――基礎知識から鑑定まで
第9章 金と金色の鉱物
(4)自然金
精錬したものでなく、天然に産する金を“自然金”という。
山で採れる金は純粋無垢だと思っている人があるかもしれないが、分析してみると、金は九〇パーセント止まりで、かなりの銀が入っている。そのほかの鉄、銅などの元素も微量にまじっている。高温でできた鉱脈の金は純度が高く、低温でできたものは品位が低いという傾向が認められている。
黄鉄鉱の場合には成分が一定している。したがってその性質も一定している。自然金の場合は成分が一定しないのだから、性質も変動する。これは鑑定上の注意点である。
銀が多いと色が淡くなり、黄鉄鉱色に近づく。北海道の千歳金山には“馬糞金”という汚い名で知られる褐色の金がある。
金を見分ける方法は、瀬戸内の金山の所長が言ったとおり、水に濡らしてみることだ。黄鉄鉱や黄銅鉱は沈んで目立たなくなり、自然金は浮き上がってくる。粒子の細かいものは、濡らしてからルーペで見る必要がある。
研磨されたものを鑑定する場合には、水に濡れないので、光に反射させてみる。黄鉄鉱、黄銅鉱は見えなくなるが、自然金の粒はさらに輝いて見える。針の先でつけば、金は軟らかく展性に富むので、へこみができる。
自然金の粒が目に見える金鉱はまれなもので、いちばん普通の金鉱は石英中に黒い帯の入ったものである。これを鉱山用語で銀黒という。輝銀鉱などの黒い銀の鉱物が主体なので黒く見えるのである。金は微細な粒子になってこのなかに拡散している。
佐渡金山、串木野金山など日本の代表的な金山は銀黒タイプの鉱石を掘っていた。
すでに休山となったが、筆者が伊豆の金山の精錬所を見学したときのことを思い出してみよう。
数キロ先の採鉱所から鉱石がリフトで運ばれてくる。灰色で、どこにも金など見えない鉱石である。それを砕いて、薬品で処理する。青化法といって、有毒の青酸化合物を使用する。この鉱山では、台風のときに沈澱池から青酸分を含む水が狩野川へ流入し、大問題になったことがある。
精錬所のなかで、金を含んだ液がゆっくりと移動し、銅などの他成分がしだいに分離されていく。最後の溶液から、電気分解により金が抽出され、鋳型に流し込まれて成形される。
眼の前のテーブルにその一本が何気なく載っているのを見ることができた。四〇センチくらいの、板チョコ形で、色は金色より銀色に近い。まだ多量の銀を含むためで、最終的な分離は東京の工場で行われるという説明だった。たしか一週間に数本くらいできるように聞いた。係りの人が、
「このインゴットを持ってみませんか」
と言ってくれた。千歳一遇のチャンスとさっそく持ち上げてみることにした。それは予想以上に重く、力を入れ直して、ようやく数秒間だけわが手中におさめた。大金塊の重量と感触に圧倒されてしまったのか、それから先のことは思い出せない。
銀黒型のほかに、俗に老脈型と言われる金の鉱脈がある。堆積岩を切る石英脈中に金の粒が入っているもので、他の鉱物はほとんど共存していない。老脈タイプの鉱石から金を取り出すのは簡単で、鉱石を粉末にして水で流すだけでも金が集められる。銀黒鉱の精錬技術が発達していなかった昔は、老脈型の鉱石を掘る金山が主力であった。今川家の梅ヶ島金山(静岡市)、水戸藩の金山(茨城県久慈地方)、武田家の黒川金山(山梨県塩山市)などが有名である。老脈型の鉱山は規模が小さい。天下を押さえるための財源としては結局足りなかった。
徳川三〇〇年の基盤は一つには佐渡金山などの大型金山を優れた精錬技術で開発した点にある。明治維新で薩長が雄飛したのは、勤王の志士の活躍の裏に鉱山経営による財源があったためである。山口県は全国一、鉱山の分布が密であったし、鹿児島県は金の鉱床がたくさんあることで日本一になっている。
ローセキ鉱床も金山の一つの型である。ローセキ鉱山の歴史をさかのぼると、かつては金山だった例が多い。黒鉱(銅、鉛、亜鉛などの数種の硫化鉱物の微粒が集合して塊状となって産出する鉱石で、外観が黒いところからこの通称がある)の鉱山も、金山とは称していないが、実際には多量の金を産出している。
ひとつ気になることを指摘しておこう。日本の大金山はほとんど海に近いところに位置している。これはプレートテクトニクスの理論と関連させて、偶然ではないということになるとおもしろいのであるが、はたしてどうであろうか。
(下略)
(4)自然金
精錬したものでなく、天然に産する金を“自然金”という。
山で採れる金は純粋無垢だと思っている人があるかもしれないが、分析してみると、金は九〇パーセント止まりで、かなりの銀が入っている。そのほかの鉄、銅などの元素も微量にまじっている。高温でできた鉱脈の金は純度が高く、低温でできたものは品位が低いという傾向が認められている。
黄鉄鉱の場合には成分が一定している。したがってその性質も一定している。自然金の場合は成分が一定しないのだから、性質も変動する。これは鑑定上の注意点である。
銀が多いと色が淡くなり、黄鉄鉱色に近づく。北海道の千歳金山には“馬糞金”という汚い名で知られる褐色の金がある。
金を見分ける方法は、瀬戸内の金山の所長が言ったとおり、水に濡らしてみることだ。黄鉄鉱や黄銅鉱は沈んで目立たなくなり、自然金は浮き上がってくる。粒子の細かいものは、濡らしてからルーペで見る必要がある。
研磨されたものを鑑定する場合には、水に濡れないので、光に反射させてみる。黄鉄鉱、黄銅鉱は見えなくなるが、自然金の粒はさらに輝いて見える。針の先でつけば、金は軟らかく展性に富むので、へこみができる。
自然金の粒が目に見える金鉱はまれなもので、いちばん普通の金鉱は石英中に黒い帯の入ったものである。これを鉱山用語で銀黒という。輝銀鉱などの黒い銀の鉱物が主体なので黒く見えるのである。金は微細な粒子になってこのなかに拡散している。
佐渡金山、串木野金山など日本の代表的な金山は銀黒タイプの鉱石を掘っていた。
すでに休山となったが、筆者が伊豆の金山の精錬所を見学したときのことを思い出してみよう。
数キロ先の採鉱所から鉱石がリフトで運ばれてくる。灰色で、どこにも金など見えない鉱石である。それを砕いて、薬品で処理する。青化法といって、有毒の青酸化合物を使用する。この鉱山では、台風のときに沈澱池から青酸分を含む水が狩野川へ流入し、大問題になったことがある。
精錬所のなかで、金を含んだ液がゆっくりと移動し、銅などの他成分がしだいに分離されていく。最後の溶液から、電気分解により金が抽出され、鋳型に流し込まれて成形される。
眼の前のテーブルにその一本が何気なく載っているのを見ることができた。四〇センチくらいの、板チョコ形で、色は金色より銀色に近い。まだ多量の銀を含むためで、最終的な分離は東京の工場で行われるという説明だった。たしか一週間に数本くらいできるように聞いた。係りの人が、
「このインゴットを持ってみませんか」
と言ってくれた。千歳一遇のチャンスとさっそく持ち上げてみることにした。それは予想以上に重く、力を入れ直して、ようやく数秒間だけわが手中におさめた。大金塊の重量と感触に圧倒されてしまったのか、それから先のことは思い出せない。
銀黒型のほかに、俗に老脈型と言われる金の鉱脈がある。堆積岩を切る石英脈中に金の粒が入っているもので、他の鉱物はほとんど共存していない。老脈タイプの鉱石から金を取り出すのは簡単で、鉱石を粉末にして水で流すだけでも金が集められる。銀黒鉱の精錬技術が発達していなかった昔は、老脈型の鉱石を掘る金山が主力であった。今川家の梅ヶ島金山(静岡市)、水戸藩の金山(茨城県久慈地方)、武田家の黒川金山(山梨県塩山市)などが有名である。老脈型の鉱山は規模が小さい。天下を押さえるための財源としては結局足りなかった。
徳川三〇〇年の基盤は一つには佐渡金山などの大型金山を優れた精錬技術で開発した点にある。明治維新で薩長が雄飛したのは、勤王の志士の活躍の裏に鉱山経営による財源があったためである。山口県は全国一、鉱山の分布が密であったし、鹿児島県は金の鉱床がたくさんあることで日本一になっている。
ローセキ鉱床も金山の一つの型である。ローセキ鉱山の歴史をさかのぼると、かつては金山だった例が多い。黒鉱(銅、鉛、亜鉛などの数種の硫化鉱物の微粒が集合して塊状となって産出する鉱石で、外観が黒いところからこの通称がある)の鉱山も、金山とは称していないが、実際には多量の金を産出している。
ひとつ気になることを指摘しておこう。日本の大金山はほとんど海に近いところに位置している。これはプレートテクトニクスの理論と関連させて、偶然ではないということになるとおもしろいのであるが、はたしてどうであろうか。
(下略)
堀秀道
1934年、東京に生まれる。理学博士。鉱物科学研究所所長。著書に『楽しい鉱物図鑑(1)(2)』『楽しい鉱物学』などがある。
1934年、東京に生まれる。理学博士。鉱物科学研究所所長。著書に『楽しい鉱物図鑑(1)(2)』『楽しい鉱物学』などがある。