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立ち読みコーナー
北朝鮮を知りすぎた医者 脱北難民支援記
ノルベルト・フォラツェン / 平野卿子 訳
 日本のみなさんへ

 独裁国家の悲劇を終わらせるために

 早いもので朝鮮半島に来てから三年以上の月日がたちました。かつては北に、そして今は南にいます。ドイツ緊急医師団〈カップ・アナムーア〉の医師として一年半(一九九九年七月〜二〇〇〇年末)滞在した北朝鮮での日々から、私の生涯の課題が生まれました。それはこの地球で最後のスターリン主義独裁国家における人権のために闘い、子供たちや飢えている人々、虐げられている人々のための闘いです。
 なぜこの闘いを? なぜ私は介入せずにはいられないのでしょうか?
 なぜなら、ひとりの人間だからです。私たち人間は、苦しんでいる人のことを心にかける義務があります。抑圧され、虐待されている人がいたら、手を差し伸べねばならないのです。たとえそれが直接私に関係がなかろうと、いやそれどころか、他の国家の主権を侵すことになろうとも。
 これからも私は介入しないわけにはいきません。それは私が医者だから、それも今すぐ助けに行かねばならない救急医だからです。
 今すぐ行動しなければなりません。北朝鮮で起こっている悲劇は、世界史における非常事態なのです。今、こうしているあいだにも、この国では人々が、飢え、拷問され、死んでいます。このような事態にあっては、医者である私も政治的な使命を引き受け、行動しなければなりません──今すぐ、救急医として。救急医というのは往々にして思いきった処置をする必要に迫られます。時と場合によっては、法すれすれのこともあるでしょう。けれども救急医は青信号を待っているわけにはいきません。たとえ信号が赤であっても突っ走らなければならないのです。
 私が行動を起こさずにいられない一番の理由は、おそらく私がドイツ人だからです。父が、祖父が、ナチの残虐さにたいして沈黙していたとされるドイツ人、行動を起こすことも、決起することも、反抗することもなかったと非難されたドイツ人だからです。当時、二度とこういうことを繰り返してはならないと言われました。独裁政治の不正を知った以上、たとえ強制収容所の噂を耳にしただけにせよ、二度と再び手をこまねいているわけにはいきません。私は歴史から学ばねばならないのです。
 最初の本『北朝鮮を知りすぎた医者』で書いたように、私は北朝鮮で衝撃的な体験をし、国民の飢えや抑圧を知り、なによりも拷問や収容所送りにたいするすさまじい恐怖を知りました。体制に反抗し、メディアの助けを借りてそれを国際社会で暴こうと決心したのはまさにそのためです。
 これもすでに書きましたが、火傷をした患者に自分の皮膚を提供したことから、私は西側の人間として初めて北朝鮮政府から友好メダルを受けました。このメダルを私は、北朝鮮の人々にたいする自分の任務を表すものだと考えています。屈従させられ、拷問されている人々やおなかをすかせた子供たちに私は手を差し伸べなければなりません。この友好メダルの意味を、私はきわめて重く受け止めているのです。
 二冊目の本『北朝鮮を知りすぎた医者 国境からの報告』で書いた中朝国境での体験をきっかけに、私は韓国の支援者グループに加わることになりました。彼らはもう何年も脱北者たちのために尽力しています。本書では、その人たちと起こしたさまざまな行動と、しだいに世界に広がっていったネットワークについて記します。
 人権問題に三年以上もかかわった結果、私はこの地球上で金正日が率いる北朝鮮ほどひどいテロ国家はないと考えるにいたりました。金正日はみずから朝鮮民族の支配者と名乗り、神のように崇められた父、金日成の絶対的な権力を継承しようとしているのです。
 北朝鮮の人々はまるで奴隷のようです。たえまない教化や朝から晩まで続く訓練によって洗脳され、恐怖政治と仮借ない処罰によって人々は畏縮しきっています。けれども、そんな彼らの運命は、国際社会に知られていないも同然なのです。
 なんとしてでも、この悲劇を終わらせねばならない、そのためには国際社会に広く知らせる意外に方法はないと、私が考えているのは、不正にたいする和解ころからの強烈な反発心、そしてメディアの力にたいする信頼からきています。北朝鮮は、従来の意味での法治国家ではなく、独裁的な恐怖政治国家です。ですから、戦略もそれに見合った大胆なものにならざるをえません。
 この国は大量破壊兵器で世界を脅しているだけではありません。自国民をも脅しているのです。ひとたび反体制派だとにらんだら最後、北朝鮮政府は決して食料を与えないからです。このような政府に対抗するには、きわめて急進的な戦略を使わねばなりません。それには彼らのやり方を逆手にとることです。つまり脅迫、策力、強要、大々的なプロパガンダ作戦が必要なのです。
 東ドイツ難民が数人、プラハの西ドイツ大使館に駆け込んだことがドイツの再統一の発端となりました。このことから、北京の西側諸国の大使館に脱北者を駆け込ませるアイデアが生まれました。そして、テレビカメラや木陰に隠れたジャーナリストたちの助力で、脱北者の運命を国際社会に広く知らせるためのキャンペーンが成功したのです。
 「九・一一」米国同時多発テロ後のアメリカの世論を動かすこと。北朝鮮が拉致を認めたあとの日本の世論を動かすこと。大使館への駆け込みのほか、活動の重心においたのはその二つでした。そのための手段として数多くのスピーチやインタビュー、新聞記事、さらに韓国やヨーロッパ、アメリカ、日本の政治かたちとの話し合いが大いに功を奏しました。

 三冊目の本書によって、日本のみなさんに私たちの戦略を理解していただき、より多くの方々に関心をもっていただけたらと切に願っています。


ノルベルト・フォラツェン
一九五八年、旧西独デュッセルドルフ生まれ。デュッセルドルフ大学医学部卒業。モルディヴでの医療活動、大学講師、心身医学病院勤務を経て、九〇年、ゲッティンゲンで開業。九九年七月、ドイツ緊急医師団〈カップ・アナムーア〉に加わり、北朝鮮へ。火傷患者への皮膚移植に協力して「友好メダル」を授与され、比較的自由に国内を移動。二〇〇〇年秋に訪朝したオルブライト国務長官(当時)の随行記者を平壌市内に案内したこと、人権抑圧改善を当局に訴えたことから、同年末に国外追放となり、ソウルへ脱出。このとき十六冊の日記と写真、ビデオを持ち出すことに成功。