私はヒトラーの秘書だった
第6章 たった今、総統が死んだ
四月三十日がその前の日々と同じように始まった。時間がけだるく過ぎていく。エーファ・ブラウンにどう呼びかけたらいいのか誰にもわからない。副官とか伝令たちは、ついこれまでどおり「お嬢さま」と呼びかけようとして、どもり、まごついた。「皆さん、私のことをヒトラーさんと呼んでくれていいんですよ」とエーファは顔をほころばせて言った。
彼女が自分の部屋に来てほしいと私に言う。たえず一人だけで考えてはいられないからだ。私たち二人は、気がまぎれるようなことをあれこれ話す。ふと彼女が洋服ダンスを開けた。そこには彼女の大好きな美しい銀ギツネのコートが掛かっている。「ユンゲさん、私、このコートをお別れにあなたにプレゼントしたいのよ」と彼女が言う。「私、素敵な格好をした女性たちがまわりにいるのが本当に好きだったわ。今度はあなたがこれを着て、楽しんでちょうだい」。私は感激して、心の底からお礼を言った。それをどのように、どこで、いつ着られるか見当もつかないのに、私は嬉しくさえあった。
それから、私たちはヒトラーと共に昼食をとった。昨日、おととい、そして何日も前と同様のおしゃべり。それは明るい落ち着きと覚悟の仮面の下で行われた死の饗宴だった。私たちは食卓から立ち上がり、エーファ・ブラウンは自分の部屋に戻っていった。クリスチアン夫人や私はタバコをゆっくりと一服できそうな場所を探す。私は、ヒトラーの部屋に通じる廊下の開いたドア脇にある従卒の部屋に、肘掛け椅子を一つ見つけた。ヒトラーは自室にいるようだ。誰が彼のところにいるのかはわからない。
そのときギュンシェが近寄ってきて私に耳打ちした。「ちょっと来て。総統がお別れしたいそうだよ」。私は立ち上がって廊下に出ていった。リンゲがマンツィアリー嬢とかクリスチアン夫人たちをつれてくる。他の人たちもそこにいるのがぼんやり見える。私は総統の姿だけを目で追う。彼はいまだかつてないほど腰を曲げ、ひどくゆっくりと自室から出てきて開いたドアを通りぬけ、一人一人に手を差し出す。私は彼の温かな右手を自分の右手のうちに感じる。彼は私をじっと見つめるが、でも私を見てはいない。彼は遥か遠くにいるらしい。彼は私に何か言うが、でも私には聞こえない。彼の最後の言葉が私にはわからない。今こそ私たちが待っていた瞬間がやってきたのだ。それなのに私はしゃちこばってしまい、私のまわりで何が起きているのか、あんまり見ていなかった。
エーファ・ブラウンが私に近づいてきたとき、やっといくらか魔力が解けた。彼女は微笑みながら、私を抱き締めた。「どうかここから出ていけるよう、がんばってくださいね。あなたならきっとうまくやれると思うわ。そうしたらバイエルンの人たちによろしく伝えてください」と、笑みを浮かべて言ったが、その声にすすり泣きもまじっていた。黒地で、胸空きにバラのついた総統お気に入りのドレスを着て、髪の毛は洗い、きれいにセットしてある。それから彼女は総統に続いて、彼の部屋へ入ってゆく――死に向かって。重い鉄の扉が閉まった。
ふいに、ここからできるだけ遠くへ行ってしまいたいという激しい衝動にかられた。逃げるようにして地下壕の上階への階段を駆けのぼる。ところが階段の中途にゲッベルスの子供たちがしょんぼりとしゃがんでいるではないか。今日は誰もお昼ご飯を作ってくれないので、彼らは自分たちの部屋に忘れられてしまったような気がした。それで両親やエーファおばさんやヒトラーおじさんを探そうというのだ。私は彼らを丸テーブルへつれていく。「あんたたち、いらっしゃい。何か食べ物をあげましょう。大人たちは今日はすごくたくさんすることがあるのよ。だからあんたたちをかまう時間がないの」と、できるだけさらっと気どられないように言う。グラス一杯にサクランボのコンポートを持ってきてから、何枚かのパンにバターを素早くぬって子供たちに食べさせ、話しかけ、気持ちをそらせる。彼らは地下壕の安全性について話している。自分たちに危害はないとわかれば、爆撃の音を聞くのは、彼らにはむしろ楽しみに近いものなのだ。
突如、銃声が一発ものすごい音をたてて、うんと近くで鳴り、みんなが黙りこくった。音響がすべての部屋に伝わっていく。「あーっ、今のは命中だよ!」と、ヘルムートが叫び声を上げるが、いかに自分の言うことが正しいかは知るよしもない。たった今、総統が死んだ。
四月三十日がその前の日々と同じように始まった。時間がけだるく過ぎていく。エーファ・ブラウンにどう呼びかけたらいいのか誰にもわからない。副官とか伝令たちは、ついこれまでどおり「お嬢さま」と呼びかけようとして、どもり、まごついた。「皆さん、私のことをヒトラーさんと呼んでくれていいんですよ」とエーファは顔をほころばせて言った。
彼女が自分の部屋に来てほしいと私に言う。たえず一人だけで考えてはいられないからだ。私たち二人は、気がまぎれるようなことをあれこれ話す。ふと彼女が洋服ダンスを開けた。そこには彼女の大好きな美しい銀ギツネのコートが掛かっている。「ユンゲさん、私、このコートをお別れにあなたにプレゼントしたいのよ」と彼女が言う。「私、素敵な格好をした女性たちがまわりにいるのが本当に好きだったわ。今度はあなたがこれを着て、楽しんでちょうだい」。私は感激して、心の底からお礼を言った。それをどのように、どこで、いつ着られるか見当もつかないのに、私は嬉しくさえあった。
それから、私たちはヒトラーと共に昼食をとった。昨日、おととい、そして何日も前と同様のおしゃべり。それは明るい落ち着きと覚悟の仮面の下で行われた死の饗宴だった。私たちは食卓から立ち上がり、エーファ・ブラウンは自分の部屋に戻っていった。クリスチアン夫人や私はタバコをゆっくりと一服できそうな場所を探す。私は、ヒトラーの部屋に通じる廊下の開いたドア脇にある従卒の部屋に、肘掛け椅子を一つ見つけた。ヒトラーは自室にいるようだ。誰が彼のところにいるのかはわからない。
そのときギュンシェが近寄ってきて私に耳打ちした。「ちょっと来て。総統がお別れしたいそうだよ」。私は立ち上がって廊下に出ていった。リンゲがマンツィアリー嬢とかクリスチアン夫人たちをつれてくる。他の人たちもそこにいるのがぼんやり見える。私は総統の姿だけを目で追う。彼はいまだかつてないほど腰を曲げ、ひどくゆっくりと自室から出てきて開いたドアを通りぬけ、一人一人に手を差し出す。私は彼の温かな右手を自分の右手のうちに感じる。彼は私をじっと見つめるが、でも私を見てはいない。彼は遥か遠くにいるらしい。彼は私に何か言うが、でも私には聞こえない。彼の最後の言葉が私にはわからない。今こそ私たちが待っていた瞬間がやってきたのだ。それなのに私はしゃちこばってしまい、私のまわりで何が起きているのか、あんまり見ていなかった。
エーファ・ブラウンが私に近づいてきたとき、やっといくらか魔力が解けた。彼女は微笑みながら、私を抱き締めた。「どうかここから出ていけるよう、がんばってくださいね。あなたならきっとうまくやれると思うわ。そうしたらバイエルンの人たちによろしく伝えてください」と、笑みを浮かべて言ったが、その声にすすり泣きもまじっていた。黒地で、胸空きにバラのついた総統お気に入りのドレスを着て、髪の毛は洗い、きれいにセットしてある。それから彼女は総統に続いて、彼の部屋へ入ってゆく――死に向かって。重い鉄の扉が閉まった。
ふいに、ここからできるだけ遠くへ行ってしまいたいという激しい衝動にかられた。逃げるようにして地下壕の上階への階段を駆けのぼる。ところが階段の中途にゲッベルスの子供たちがしょんぼりとしゃがんでいるではないか。今日は誰もお昼ご飯を作ってくれないので、彼らは自分たちの部屋に忘れられてしまったような気がした。それで両親やエーファおばさんやヒトラーおじさんを探そうというのだ。私は彼らを丸テーブルへつれていく。「あんたたち、いらっしゃい。何か食べ物をあげましょう。大人たちは今日はすごくたくさんすることがあるのよ。だからあんたたちをかまう時間がないの」と、できるだけさらっと気どられないように言う。グラス一杯にサクランボのコンポートを持ってきてから、何枚かのパンにバターを素早くぬって子供たちに食べさせ、話しかけ、気持ちをそらせる。彼らは地下壕の安全性について話している。自分たちに危害はないとわかれば、爆撃の音を聞くのは、彼らにはむしろ楽しみに近いものなのだ。
突如、銃声が一発ものすごい音をたてて、うんと近くで鳴り、みんなが黙りこくった。音響がすべての部屋に伝わっていく。「あーっ、今のは命中だよ!」と、ヘルムートが叫び声を上げるが、いかに自分の言うことが正しいかは知るよしもない。たった今、総統が死んだ。
トラウデル・ユンゲ
1920年、ミュンヘン生まれ。1942年末から45年までアドルフ・ヒトラーの秘書を務める。戦後、一時ソ連の収容所に送られたのちは、『クイック』誌の編集長付秘書などの仕事を経てフリー・ジャーナリストとなる。2002年2月11日、ガンのため死去。
訳者:高島市子
東京教育大学仏文科卒業。ベルリン自由大学独文、図書館学専攻。ベルリン自由大学日本学科非常勤講師。フンボルト大学日本学科常勤講師。
訳者:足立ラーベ加代
立教大学ドイツ文学科卒業。ベルリン自由大学演劇学科、美術史学科修士課程修了。マールブルク大学メディア学科博士課程修了。現在フンボルト大学日本学科専任講師。
1920年、ミュンヘン生まれ。1942年末から45年までアドルフ・ヒトラーの秘書を務める。戦後、一時ソ連の収容所に送られたのちは、『クイック』誌の編集長付秘書などの仕事を経てフリー・ジャーナリストとなる。2002年2月11日、ガンのため死去。
訳者:高島市子
東京教育大学仏文科卒業。ベルリン自由大学独文、図書館学専攻。ベルリン自由大学日本学科非常勤講師。フンボルト大学日本学科常勤講師。
訳者:足立ラーベ加代
立教大学ドイツ文学科卒業。ベルリン自由大学演劇学科、美術史学科修士課程修了。マールブルク大学メディア学科博士課程修了。現在フンボルト大学日本学科専任講師。