技術者たちの敗戦
あとがき
振り返ってみれば、これまで単行本やビジネス雑誌で、現代のしのぎを削るハイテク分野の技術開発などを事例としてとりあげ、またそれを担った技術者へのインタビューなどを書いてきた。だが、やはりライフワークとして多くの時間を費やしたのは、半世紀あるいはそれ以上のロングレンジで見た、戦前・戦後の主に昭和の時代における主要産業の技術開発(発展)史を、合計十数冊となるノンフィクションとしてまとめあげてきたことである。
その対象は戦前の先端分野といわれるジェットエンジンや航空機、自動車、鉄道、造船、ピアノなどで、上・下巻といった長篇となる場合が多かった。いずれもその産業の中核を担った日本を代表する技術者あるいは技術者集団の格闘する姿を通して、「技術大国」と呼ばれるまでに発展した現在までの軌跡を描いてきた。
その結果として、現代的な問題意識からの日本の“戦後的”なるものを浮かび上がらせて、昭和史の一側面を描いてきたつもりである。
今まで発刊してきたノンフィクションはいずれも時系列に沿って事実を整理し、当事者たちの証言もふんだんに盛り込んだ、一つのドキュメントあるいは歴史としてまとめあげてきた。書き手である筆者自身と登場人物との直接的なやりとりや、ざっくばらんな会話、印象などはほとんど盛り込まなかった。だが、今回はそうした禁も取り払い、取材ノート的な要素も潜り込まれることで、相手の技術者の素顔や性格も紹介することにした。
長い時代を扱うノンフィクションをまとめあげる場合には、相当量の資料収集や多くの人々への取材、調査が必要で、書きあげるまでには長い時間を要する。
その間、とくに中心的な役割を果たした大物の技術者に対しては、何度もインタビューを重ねると同時に、さまざまな角度からその人物の全体像に迫ろうとして考えを思いめぐらすことになる。また周辺の方々へのインタビューを通して、これまたその技術者のいろいろな側面を窺い知ることになる。
そうした過程を経るなかで、昭和の時代を駆け抜けて歴史の一場面をかたちづくり、大きな足跡を残した独特の個性を持つ六人の技術者像が次第に浮かび上がり、熟成してきたことで、本書を書きあげることになり、また、強く意識にのぼってきたことが本書のタイトルとなった。それは、技術者として彼らが体験した戦争あるいは敗戦のもつ意味についてである。それが戦後の生き方や姿勢、大げさにいえば、彼らが身につけることになった思想や哲学にいかなる意味合いをもったのであろうかとする関心である。
さらに断定的にいえば、戦争や敗戦の体験を、ただ単に受け身としてとらえるのではない。自らにとってきわめて重要で、より深い次元で受け止めた技術者ほど、戦後において意義ある仕事を成し遂げていると思える。それは、敗戦を通して学んだ反省や教訓を頭に刻み込み、またバネにして、戦後の活動を再スタートさせたからであろう。
ここでとりあげた六人はいずれも昭和の時代を代表するエリート技術者である。それだけに、戦時中は国を挙げての軍事生産あるいは兵器開発と密接にかかわることになった。いうまでもなく、技術開発や生産は具体的なモノづくりであるから、理にかなった技術合理性がともなわなければすぐに問題を起こしてしまい、絶対に実を結ぶことはない。
ところが、よく知られているように、絶対的な権限をもって振る舞い命令を下していた軍の上層部は、作戦・指揮は得意でも、技術や生産については疎い場合が多い。そのため、やたら強権的で精神主義を強調し、辻褄の合わない命令を押しつけてくることも少なくない。しかも、日本の軍事力を過信しがちで、その基盤をかたちづくっている生産力とか国力、あるいは欧米先進国との技術格差といったことを冷厳に認識していないことも多かった。
振り返ってみれば、これまで単行本やビジネス雑誌で、現代のしのぎを削るハイテク分野の技術開発などを事例としてとりあげ、またそれを担った技術者へのインタビューなどを書いてきた。だが、やはりライフワークとして多くの時間を費やしたのは、半世紀あるいはそれ以上のロングレンジで見た、戦前・戦後の主に昭和の時代における主要産業の技術開発(発展)史を、合計十数冊となるノンフィクションとしてまとめあげてきたことである。
その対象は戦前の先端分野といわれるジェットエンジンや航空機、自動車、鉄道、造船、ピアノなどで、上・下巻といった長篇となる場合が多かった。いずれもその産業の中核を担った日本を代表する技術者あるいは技術者集団の格闘する姿を通して、「技術大国」と呼ばれるまでに発展した現在までの軌跡を描いてきた。
その結果として、現代的な問題意識からの日本の“戦後的”なるものを浮かび上がらせて、昭和史の一側面を描いてきたつもりである。
今まで発刊してきたノンフィクションはいずれも時系列に沿って事実を整理し、当事者たちの証言もふんだんに盛り込んだ、一つのドキュメントあるいは歴史としてまとめあげてきた。書き手である筆者自身と登場人物との直接的なやりとりや、ざっくばらんな会話、印象などはほとんど盛り込まなかった。だが、今回はそうした禁も取り払い、取材ノート的な要素も潜り込まれることで、相手の技術者の素顔や性格も紹介することにした。
長い時代を扱うノンフィクションをまとめあげる場合には、相当量の資料収集や多くの人々への取材、調査が必要で、書きあげるまでには長い時間を要する。
その間、とくに中心的な役割を果たした大物の技術者に対しては、何度もインタビューを重ねると同時に、さまざまな角度からその人物の全体像に迫ろうとして考えを思いめぐらすことになる。また周辺の方々へのインタビューを通して、これまたその技術者のいろいろな側面を窺い知ることになる。
そうした過程を経るなかで、昭和の時代を駆け抜けて歴史の一場面をかたちづくり、大きな足跡を残した独特の個性を持つ六人の技術者像が次第に浮かび上がり、熟成してきたことで、本書を書きあげることになり、また、強く意識にのぼってきたことが本書のタイトルとなった。それは、技術者として彼らが体験した戦争あるいは敗戦のもつ意味についてである。それが戦後の生き方や姿勢、大げさにいえば、彼らが身につけることになった思想や哲学にいかなる意味合いをもったのであろうかとする関心である。
さらに断定的にいえば、戦争や敗戦の体験を、ただ単に受け身としてとらえるのではない。自らにとってきわめて重要で、より深い次元で受け止めた技術者ほど、戦後において意義ある仕事を成し遂げていると思える。それは、敗戦を通して学んだ反省や教訓を頭に刻み込み、またバネにして、戦後の活動を再スタートさせたからであろう。
ここでとりあげた六人はいずれも昭和の時代を代表するエリート技術者である。それだけに、戦時中は国を挙げての軍事生産あるいは兵器開発と密接にかかわることになった。いうまでもなく、技術開発や生産は具体的なモノづくりであるから、理にかなった技術合理性がともなわなければすぐに問題を起こしてしまい、絶対に実を結ぶことはない。
ところが、よく知られているように、絶対的な権限をもって振る舞い命令を下していた軍の上層部は、作戦・指揮は得意でも、技術や生産については疎い場合が多い。そのため、やたら強権的で精神主義を強調し、辻褄の合わない命令を押しつけてくることも少なくない。しかも、日本の軍事力を過信しがちで、その基盤をかたちづくっている生産力とか国力、あるいは欧米先進国との技術格差といったことを冷厳に認識していないことも多かった。
前間孝則
ノンフィクション作家。一九四六年生まれ。石川島播磨重工の航空宇宙事業本部技術開発事業部でジェットエンジンの設計に二十年従事。一九八八年、同社を退社。日本の近現代の産業史の執筆に取り組む。主な著書に『弾丸列車』(実業之日本社)『マン・マシンの昭和伝説』上・下(講談社文庫)『戦艦大和誕生』(講談社+α文庫)『世界制覇』上・下(講談社刊)『日本のピアノ100年』(岩野裕一氏との共著、草思社刊〕『日本はなぜ旅客機をつくれないのか』(草思社刊)などがある。
ノンフィクション作家。一九四六年生まれ。石川島播磨重工の航空宇宙事業本部技術開発事業部でジェットエンジンの設計に二十年従事。一九八八年、同社を退社。日本の近現代の産業史の執筆に取り組む。主な著書に『弾丸列車』(実業之日本社)『マン・マシンの昭和伝説』上・下(講談社文庫)『戦艦大和誕生』(講談社+α文庫)『世界制覇』上・下(講談社刊)『日本のピアノ100年』(岩野裕一氏との共著、草思社刊〕『日本はなぜ旅客機をつくれないのか』(草思社刊)などがある。