普及版 太平洋戦争とは何だったのか
――1941〜1945年の国家、社会、そして極東戦争
まえがき
本書はこれだけで完結したものとして書かれたものだが、内容としてはさきに出版された一九四一〜四五年の極東戦争に関する研究、Allies of a Kind(邦訳『米英にとっての太平洋戦争』)を補足するものである。前著は極東戦争に関するヨーロッパ諸国の政策、とくに英米両国の関係に焦点をあてたものだが、この主題を追っていく過程で、戦争に巻きこまれたアジアの諸国と社会について私の知るところがいかに少なく、かつ理解が足りないかを思い知らされた。と同時に関心をそそられたのは、この地域に存在するきわめて多様な国家と民族が、いかに戦争の影響を受け、また戦局の推移にいかに影響を及ぼしたかということである。そこで、Allies of a Kindを書き上げたのち、この二点について勉強を重ね(結果は、例によって自分の無知のほどをあらためて再認識させられたが)、続篇として何か書くことができるかを考えてみた。
まずここで、二つの点について説明しておくことが必要だろう。第一は、一九四一年十二月から四五年夏にかけての日本とその敵国との武力衝突を、なぜ「極東戦争」と名づけることにしたのかという問題である。とくに日米両国の読者には、この名称は奇異に感じられるだろう。両国では一般に「太平洋戦争」と呼ばれているからである。この「太平洋戦争」という呼称の意味するところは非常にわかりやすい。だが、これでは戦争の地理的・地政学的側面の性格づけが、とくにその広範囲にわたる影響に関してほとんどなされていないように思われる。一方、それにかわってここに示した「極東戦争」という名称は、ヨーロッパを中心とする世界観から生まれたものとして、おそらく厳しい反対にあうだろう。日本政府が真珠湾攻撃直後に布告を出して、「極東」という言葉は「世界の中心はイギリス」だという忌まわしい考え方を反映したものであるから、今後この語の使用をやめ、かわって「大東亜戦争」と呼ぶこととする、としたのも同じ論拠からだった。だが、それにもかかわらず、とくに本書の論考の目的に照らしてみるとき、「極東戦争」のほうが、満足とはいかないまでもより適切であると思われる。もちろん、単純なヨーロッパ中心的なものの見方や考え方を避けるべきは当然である。ここにいう「極東」の概念には、それぞれ次のように表示される多くの地域、すなわち、東アジア、東南アジア、西太平洋、オーストラレイシアが含まれる。インドもまた、この戦争に多くの面で深くかかわりあったので、南アジアは地理的には極東のなかに含まれないけれども、考察の対象とした。
次に、オランダ、フランス、イギリス、アメリカに関して、その国家だけではなく、地理的な位置からいえば実際の戦闘の場所からは遠く離れたそれぞれの国内社会までをも研究対象に取りあげた理由について説明しておかなければならない。オランダ、フランス、イギリスの三国にとっては、ヨーロッパの戦争こそ文字どおり生死を賭けた戦いであり、そこでの敵は日本ではなくドイツであった。これら各社会を、極東戦争のために時間的にも空間的にもはるかに広範かつ深刻な影響をじかにこうむったほかの社会とならべて論じるのはなぜか。
それには三つの理由があげられる。(それらはまた、極東戦争の影響を、全体としての第二次世界大戦の影響から切り離して論じるのが非常に難しい、場合によっては、おそらく不可能と思われる理由でもある)。第一は、一九四一年十二月に日本が攻撃を開始するずっと以前から、これら西側の国々や社会は、この戦争に巻きこまれることになったアジアの多くの民族と密接な関係を保ってきたことである。もちろんこの関係は、なによりも公式および非公式の帝国主義的なつながりによって維持されてきた。第二は、戦争中、これら西側諸国は極東の地に軍隊を派遣して日本と戦った、あるいは少なくとも戦後の自国の地位にとって非常に重要な存在として、この地に関心をそそいでいたということである。(ロシア=ソヴィエト連邦は、十七世紀以来中国に対して拡張主義的態度をとりつづけ、終戦間際に参戦したが、その国内社会については、ドイツの場合と同様、検討の対象に含めていない。ただし極東戦争に関連したソヴィエト連邦の立場や政策、とくに周囲の目からみたそれについては、当然考慮の対象とした)。
本書はこれだけで完結したものとして書かれたものだが、内容としてはさきに出版された一九四一〜四五年の極東戦争に関する研究、Allies of a Kind(邦訳『米英にとっての太平洋戦争』)を補足するものである。前著は極東戦争に関するヨーロッパ諸国の政策、とくに英米両国の関係に焦点をあてたものだが、この主題を追っていく過程で、戦争に巻きこまれたアジアの諸国と社会について私の知るところがいかに少なく、かつ理解が足りないかを思い知らされた。と同時に関心をそそられたのは、この地域に存在するきわめて多様な国家と民族が、いかに戦争の影響を受け、また戦局の推移にいかに影響を及ぼしたかということである。そこで、Allies of a Kindを書き上げたのち、この二点について勉強を重ね(結果は、例によって自分の無知のほどをあらためて再認識させられたが)、続篇として何か書くことができるかを考えてみた。
まずここで、二つの点について説明しておくことが必要だろう。第一は、一九四一年十二月から四五年夏にかけての日本とその敵国との武力衝突を、なぜ「極東戦争」と名づけることにしたのかという問題である。とくに日米両国の読者には、この名称は奇異に感じられるだろう。両国では一般に「太平洋戦争」と呼ばれているからである。この「太平洋戦争」という呼称の意味するところは非常にわかりやすい。だが、これでは戦争の地理的・地政学的側面の性格づけが、とくにその広範囲にわたる影響に関してほとんどなされていないように思われる。一方、それにかわってここに示した「極東戦争」という名称は、ヨーロッパを中心とする世界観から生まれたものとして、おそらく厳しい反対にあうだろう。日本政府が真珠湾攻撃直後に布告を出して、「極東」という言葉は「世界の中心はイギリス」だという忌まわしい考え方を反映したものであるから、今後この語の使用をやめ、かわって「大東亜戦争」と呼ぶこととする、としたのも同じ論拠からだった。だが、それにもかかわらず、とくに本書の論考の目的に照らしてみるとき、「極東戦争」のほうが、満足とはいかないまでもより適切であると思われる。もちろん、単純なヨーロッパ中心的なものの見方や考え方を避けるべきは当然である。ここにいう「極東」の概念には、それぞれ次のように表示される多くの地域、すなわち、東アジア、東南アジア、西太平洋、オーストラレイシアが含まれる。インドもまた、この戦争に多くの面で深くかかわりあったので、南アジアは地理的には極東のなかに含まれないけれども、考察の対象とした。
次に、オランダ、フランス、イギリス、アメリカに関して、その国家だけではなく、地理的な位置からいえば実際の戦闘の場所からは遠く離れたそれぞれの国内社会までをも研究対象に取りあげた理由について説明しておかなければならない。オランダ、フランス、イギリスの三国にとっては、ヨーロッパの戦争こそ文字どおり生死を賭けた戦いであり、そこでの敵は日本ではなくドイツであった。これら各社会を、極東戦争のために時間的にも空間的にもはるかに広範かつ深刻な影響をじかにこうむったほかの社会とならべて論じるのはなぜか。
それには三つの理由があげられる。(それらはまた、極東戦争の影響を、全体としての第二次世界大戦の影響から切り離して論じるのが非常に難しい、場合によっては、おそらく不可能と思われる理由でもある)。第一は、一九四一年十二月に日本が攻撃を開始するずっと以前から、これら西側の国々や社会は、この戦争に巻きこまれることになったアジアの多くの民族と密接な関係を保ってきたことである。もちろんこの関係は、なによりも公式および非公式の帝国主義的なつながりによって維持されてきた。第二は、戦争中、これら西側諸国は極東の地に軍隊を派遣して日本と戦った、あるいは少なくとも戦後の自国の地位にとって非常に重要な存在として、この地に関心をそそいでいたということである。(ロシア=ソヴィエト連邦は、十七世紀以来中国に対して拡張主義的態度をとりつづけ、終戦間際に参戦したが、その国内社会については、ドイツの場合と同様、検討の対象に含めていない。ただし極東戦争に関連したソヴィエト連邦の立場や政策、とくに周囲の目からみたそれについては、当然考慮の対象とした)。
クリストファー・ソーン
一九三四年、イギリス生まれ。オックスフォード大学セント・エドムンド・ホールで現代史を専攻。戦後の英国海軍に従軍、駆逐艦に乗り組んでいた経験がある。サセックス大学で国際関係論の教授を務めていたが、九二年に癌のため急逝。王立歴史学会、英国学士院の特別会員でもあった。
主要著書:The Approach of War,1938-1939(1967)/Allies of a Kind(1978)、邦訳『米英にとっての太平洋戦争』/Racial Aspects of the Far Iastern War of 1941-1945(1982)、邦訳『太平洋戦争における人種問題』/The Issue of War(1985)、邦訳『太平洋戦争とは何だったのか』
訳者:市川洋一
一九二五年生まれ。四七年に京都大学法学部を卒業。東洋レーヨン、東レ・エージェンシー勤務を経て八五年に退職。訳書:ソーン『太平洋戦争とは何だったのか』(一九八九年)、『太平洋戦争における人種問題』(一九九一年)、『米英にとっての太平洋戦争』(一九九五年)。いずれも草思社刊。
一九三四年、イギリス生まれ。オックスフォード大学セント・エドムンド・ホールで現代史を専攻。戦後の英国海軍に従軍、駆逐艦に乗り組んでいた経験がある。サセックス大学で国際関係論の教授を務めていたが、九二年に癌のため急逝。王立歴史学会、英国学士院の特別会員でもあった。
主要著書:The Approach of War,1938-1939(1967)/Allies of a Kind(1978)、邦訳『米英にとっての太平洋戦争』/Racial Aspects of the Far Iastern War of 1941-1945(1982)、邦訳『太平洋戦争における人種問題』/The Issue of War(1985)、邦訳『太平洋戦争とは何だったのか』
訳者:市川洋一
一九二五年生まれ。四七年に京都大学法学部を卒業。東洋レーヨン、東レ・エージェンシー勤務を経て八五年に退職。訳書:ソーン『太平洋戦争とは何だったのか』(一九八九年)、『太平洋戦争における人種問題』(一九九一年)、『米英にとっての太平洋戦争』(一九九五年)。いずれも草思社刊。