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立ち読みコーナー
ドイツ現代史の正しい見方
セバスチャン・ハフナー 著 / 瀬野文教 訳
第6章 ヒトラーはなぜ権力を手にできたのか

 ヒトラーを生んだ一番の原因は、やはりなんといっても経済的困窮による絶望である。大衆の生活は、一九三〇年にはすでに崩壊していた。何百万もの人々が職を失い、その数は増すばかりであった。当時職を失うということは、ほとんどの場合ただちに飢餓窮乏を意味した。いかなる既存の政治勢力、すなわち旧来の議会政府も、新たに出現したブリューニングの大統領内閣も、失業問題に対してなんらなすすべを知らなかった。
 ところがここに一人の男と、その男が率いる政党が立ち現われ、貧窮からの救済を約束したのである。どうやってそれをやってのけるのか、それは彼ら自身も言わなかった。しかし俺たちに任せろと公言したのは、彼らだけだった。選挙ポスターの標題にはこう書かれてあった。「ヒトラー、われらが最後の希望」。おそらくヒトラーを選んだほとんどの人たちにとって、本当に彼は最後の希望だったにちがいない。
 しかし大衆がヒトラーに殺到した理由を、ただ経済的困窮だけに求めるなら、それはあまりにもお人好しというものである。一九三〇年の政治危機に際しては、共和国が初期に受けた古傷がふたたび大きく口を開けていたことを忘れてはならない。「匕首伝説」「十一月の犯罪者」「ヴェルサイユ条約の強制命令」といったスローガンがふたたび息を吹き返していたのである。こうした中でヒトラーは大衆に向かって、ふたたび雇用を生み出すことだけでなく、ドイツを強く大きくすることも約束した。そしてこれがまた人々の心をつかんだのだった。
 一九三〇年のドイツは病んではいたが、非常に力強い国だった。ドイツ国民の意識の中に潜在的に眠る力への自信、ヒトラーはこうした潜在意識にうまく語りかけた。ヒトラーに走り寄った大衆の胸のうちにあったのは、絶望感だけではなかった。彼らの胸には、野性味をおびた現状打破の意思、腕まくりをして一丁ぶちかましてやろうという強烈な意気込みも生きていたのである。
 そしてヒトラーを生んだ第三の原因、それはやや屈折した繊細な大衆の心理、一言でいえば、共和国はもう終わりだと誰もが感じていたことである。ワイマール共和国は、一九三〇年ブリューニングの大統領内閣の成立によって議会政治を捨てて、いわば自己放棄してしまっていた。それ以後権力に群がり権力をものにした者たちはみな旧勢力、いってみれば帝国の生き残りたちであった。
 しかしヒトラーが具現してみせたのは、そのような古臭いものではなかった。彼が示したのはそれまでにない何か新しいもの、旧来の右翼政党とは違った、何か右翼と左翼を漠然と統合した、新しい「国民共同体」のようなものだった。また大衆がヒトラーを選んだのは、ブリューニングやヒンデンブルクに対する抵抗、とりわけ、好機到来と見てふたたび勢力を盛り返そうと図る、貴族将校やエリート官吏たちに対する庶民の反抗でもあった。
 ヒトラーを選んだ人々はもはや、帝国や階級社会に後戻りしたくなかったのであり、ヒトラーもそれを望んでいなかった。もちろんヒトラーが民主主義者などではなかったのはいうまでもない。しかし彼は大衆の人気に足場を築くポピュリストだった。ヒンデンブルクの権威を隠れ蓑に帝政復活をめざす旧来の右翼たちも、むろんそのことには気づいていて、不気味に感じていた。
 彼ら右翼たちは、いまや新たな方針を打ち出し、このナチズムという想定外の国民運動を自分たちの計画に組み込まなくてはならなかった。しかしそれは容易なことではなかった。たしかにナチスは部分的に見ると、彼ら右翼保守層にとって、決して不愉快なものではなかった。ナチスが掲げる愛国主義、ナショナリズム、新たな防衛意識、行進好き、こうした傾向は守旧派には大歓迎だった。
 しかしナチズムのもつ別の側面、すなわち国家社会主義の革命的で社会主義的な要素、反ユダヤ主義や粗野で暴力的な傾向、こうしたことは顰蹙ものであり危険であった。しかしそうした恐れはあるにせよ、当時ますます脅威となりつつあった共産党に対する歯止めとして、ナチス勢力を利用することができるだろうと彼らは考えた。ヒンデンブルクをはじめ、ブリューニング、シュライヒャーにいたるまで、いまや彼らはみなヒトラーを招いて、たがいにひざを突き合わせながら、話し合いをしたのだった。
 だが結果は芳しくなかった。ヒトラーはかたくなだった。彼はつねに全権力を要求した。また人の話に耳を傾けず、自分だけ長々としゃべりまくって相手をうんざりさせた。そもそも態度からして信じがたい人間で、とり付く島もなかった。一九三〇年の時点ならおそらく、この男を押さえ込むことはできただろう。しかし実際にはそうせずに、彼を野放しにしたまま、様子ながめを続けたのである。



セバスチャン・ハフナー
1907年生まれ。ドイツの著述家、ジャーナリスト。1938年にイギリスへ亡命し『オブザーバー』で活躍。第二次世界大戦後ドイツに戻り政治コラムニストとして『ヴェルト』『シュテルン』などに執筆。1999年没。著書に『ヒトラーとは何か』(草思社)『ドイツ帝国の興亡』『裏切られたドイツ革命』(以上、平凡社)『図説プロイセンの歴史』『ナチスとのわが闘争』(以上、東洋書林)などがある。

瀬野文教
1955年東京生まれ。北海道大学独文科修士課程卒。DAAD(ドイツ学術交流会)給費生としてケルン大学に留学。現在はドイツ語塾トニオ・クレーガーを経営。主な訳書に『日本人の忠誠心と信仰』『黄禍論とは何か』『王様も文豪もみな苦しんだ性病の世界史』『植物学者モーリッシュの大正ニッポン観察記』『アタマにくる一言へのとっさの対応術』『イヌが教えるお金持ちになるための知恵』(いずれも草思社刊)などがある。