佐藤一
1921年栃木県日光に生まれる。36年、今市高等小学校卒業。38年5月国産精機設計部に入り、W・R・ゴーハム技師長の指導を受ける。41年東京芝浦電気株式会社マツダ研究所入所。43年6月海軍に召集され、通信学校で電探の教育を受けて青森、稚内、樺太に勤務。45年8月復員、東芝に復帰。鶴見工場設計部勤務となり、労働組合役員兼務。49年9月松川事件の容疑者とされ、第一審で死刑の判決を受けるも、63年9月完全無罪の判決。64年12月、下山事件研究会事務局長となり、『資料・下山事件』をまとめる。以後各種冤罪事件の支援活動のかたわら、占領史の研究と著作活動を行う。
著書に『下山事件全研究』(時事通信社刊)、『松山事件―血痕は証明する』(大和書房)、『1949年「謀略」の夏』(時事通信社刊)などがある。