謝幼田
1940年、四川省生まれ。祖父は国民党西南派の元老・謝持。中央銀行で要職についていた父親の謝家田は、新中国建国初期、冤罪により故郷で殺害される。幼少時から母親の薫陶のもと、二胡の演奏に優れた才能を示したが、政治的理由から音楽家の道を閉ざされ、中学校教師に。文化大革命末期の72年2月、「四人組」批判の壁新聞を重慶市内に貼りだし、逮捕されかかったが、「事件は人民内部の矛盾である」とする趙紫陽(当時、四川省党委員会第一書記)の一言で救われる。80年、中国社会科学院の研究員に合格。四川省社会科学院副研究員を経て、87年に渡米。2005年までスタンフォード大学フーバー研究所客員研究員。この間、抗日戦争下の中国共産党について研究。