任文桓
1907年、韓国忠清南道生まれ。23年、16歳で日本へ。人力車夫、牛乳配達をしながら同志社中学、旧制第六高等学校(岡山)から東京帝国大学法学部に進む。34年高文行政科試験に合格。35年東京帝大を卒業、拓務省に採用され、朝鮮総督府に出向。京畿道学務課、地方課を経て、38年高等官となり竜仁郡主、40年~42年総督府殖産局産金課、鉱山課勤務。44年同鉄道局書記官、鉱工局機械課兼務、45年江原道鉱工部長に発令されるも終戦。戦後は韓国臨時政府行政研究班員、李承晩政権下で商工部次官、保健部次官、農林部長官を歴任。長官辞任後は朝鮮商船社長、韓国貿易協会会長等をつとめる。93年死去。