瀬川昌久
1924(大正13)年東京生まれ。学習院初等科、中等科、高等科、東京帝国大学法学部で同窓の三島由紀夫とは生涯、交友があった。50年富士銀行に入行後、ニューヨークに赴任。チャーリー・パーカー、ビリー・ホリデイを聴き、以降、ジャズやミュージカルの評論活動を開始。とくに戦前のジャズのレコードの発掘と紹介、コンサートの企画などを精力的に行った。79年、富士銀行退社後は『月刊ミュージカル』編集長、日本ポピュラー音楽協会名誉会長などを歴任。2015年文化庁長官表彰。著書に『ジャズで踊って―舶来音楽芸能史 増補決定版』(清流出版)、『『ジャズに情熱をかけた男たち―ブルーコーツ70年の歩み』(長崎出版)、『瀬川昌久自選著作集 1954-2014~チャーリー・パーカーとビッグ・バンドと私』(河出書房新社)、『日本ジャズの誕生』(大谷能生との共著・青土社)、『アメリカから遠く離れて』(蓮實重彥との共著・河出書房新社)など多数。2021(令和3)年12月29日、肺炎のため死去。