草思社

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ベストセラー『生き物の死にざま』、待望の姉妹篇が登場! ベストセラー『生き物の死にざま』、待望の姉妹篇が登場!

 2019年夏に刊行されるや、テレビ、ラジオ、新聞、SNS等で多数紹介され大きな反響を呼んだベストセラー『生き物の死にざま』。その姉妹本が文庫化されます(2022年2月刊予定)。
 明日の命もわからない世界で、生き物たちは「今」を懸命に生きています。その命の最後の輝きを、動植物の生態を描くエッセイに定評のある著者が、叙情豊かに描きます。
 南極のブリザードが吹き荒れる中、決死の覚悟で子に与えるエサを求め歩くコウテイペンギンの父。季節はずれに成虫となり、夜空に舞うもメスに出会えなかったホタルのオス。七年ほどの時を経てようやく地中から地上に出たものの羽化できなかったセミ……
命のはかなさと尊さを綴った本書。どの世代の方にもお読みいただきたい一冊です。

【コウテイペンギン】の項より
氷の世界で数か月絶食して卵を守り続ける父

 その大地は、常に激しいブリザードに襲われる。

 雪とも氷ともわからない冷たく白い風が、激しく吹き荒れる。

 もちろん、太陽など見えない真っ白な世界だ。

 ホワイトアウトと呼ばれる白い闇に覆われた大地は、数メートル先の視界さえ妨げられる。方向はおろか、どこが地面でどこが空かさえわからない、白一色の世界だ。気温はマイナス六〇度、風速は秒速六〇メートルを超えることさえある。

 それが南極の冬である。

 しかし、こんな猛吹雪の中でも、生命は息づいている。

 真っ白な世界の中で、かすかに黒いかたまりが見える。オスのコウテイペンギンたちの群れである。

 コウテイペンギンの子育ては壮絶である。

 南極という過酷な環境で生きることを選んだ鳥であるコウテイペンギンにとって、その子育てもまた過酷なのだ。

 この環境で生き抜くための知恵が、「父親の子育て」である。コウテイペンギンは、厳しい冬の寒さの中でオスが卵を抱いてヒナを孵(かえ)すのである。

 三月から四月頃になると、一万羽ものコウテイペンギンの群れが繁殖のために海から離れた場所に移動を開始する。海の近くにはシャチやヒョウアザラシなどの危険な肉食獣がいる。内陸の方が安全なのだ。

 南極は南半球にあるので、三月はこれから冬に向かう季節である。

 とはいえ、海から内陸までの距離は五〇~一〇〇キロメートルほどにもなる。よちよち歩きのペンギンたちにしてみれば、相当な長旅だ。

 海から内陸へ移動すると、コウテイペンギンたちは求愛を行う。オスとメスはラブソングを歌うかのように鳴き合ったり、向かい合っておじぎをしたりする。こうした愛の儀式を経て、お互いに一夫一妻のパートナーを見つける。こうしてペンギンの夫婦は五月から六月頃に、愛の結晶として大きな卵を一つだけ授かるのである。

 オスはその卵をメスから受け取って自分の足の上に移動させる。

 凍(い)てつく地面の上に少しでも卵が触れれば、瞬く間に凍(こお)りついてしまう。そのため、地面に落とすことのないように足の上で抱きかかえると、オスだけにある抱卵嚢(ほうらんのう)というだぶついた腹の皮をかぶせて抱卵する。ただ実際には、卵をメスからオスへと渡すときに、わずかなミスで卵が死んでしまうこともあるというから、切ない。

 これから、長い長い子育てが行われる。

 ペンギンのエサは海の中の魚である。海を離れた内陸にペンギンたちの食べるものはないから、内陸へ移動を始めてからの二か月間、ペンギンたちは新たなエサは何も口にしていない。そのため、産卵を終えたメスたちは、体力を回復させるために、エサを求めて海へと戻っていく。

 もちろん、オスのペンギンも何も食べていないのは同じである。それでも、メスが戻ってくる間、オスはじっと足の上で卵を温めるのだ。

 季節は冬である。南極では極夜(きょくや)を迎え、太陽の当たる時間はほとんどない。一日中、闇夜が続く。気温はマイナス六〇度。それに加えてブリザードが容赦(ようしゃ)なく吹きつける。そんな中をオスたちはじっと卵を守り続けるのである。

 しかし不思議である。一般的に鳥は春に卵を産み、エサの多い夏の間に子育てをする。それなのに、どうしてコウテイペンギンは、これから厳しい冬に向かおうとする季節に卵を産むのだろうか。

 南極の夏は短い。一二月から一月の二か月間が南極にとっては夏と呼べる季節である。もし、暖かくなってから卵を産んで温めていたのでは、卵から孵化した子どもたちが大きくなる前に夏が終わり、子どもたちは厳しい冬を過ごさなければならなくなってしまう。冬になるまでに子どもたちを成長させようとすれば、冬の間に卵を産み、できるだけ早くヒナを孵す必要があるのである。

 吹き荒れるブリザードの中を、オスたちは群れ集まって身を寄せ合う。この行為はハドルと呼ばれている。オスたちは力を合わせて厳しい南極の冬を乗り越えようとするのである。

 しかし、厳しいブリザードの中で、命を落としてしまうオスもいるという。過酷な子育てなのだ。

 コウテイペンギンのオスはこうして、二か月間も卵を温め続ける。海を離れたのは、その二か月前だから、オスたちは四か月もの間、極寒の中で絶食を続けていることになる。

 コウテイペンギンは、ペンギンの中ではもっとも大きく、体重は四〇キロにもなる。ところが、断食が続いた結果、この季節になると、オスの体重は半分ほどにまで減ってしまうという。

 やがて季節は八月となる。南極の八月は冬の真っただ中だ。

 八月頃になると、長い旅を終えたメスたちが、ヒナに与える魚を胃の中にたっぷりと蓄えて、ようやく海から戻ってくる。ペンギンの胃にはそのような仕組みが備わっているのである。魚をたっぷりと蓄えたメスのお腹はパンパンだ。まさにオスたちにとっては待ちわびた瞬間だ。

 そして、ちょうどこの頃、長い抱卵のかいがあって、ヒナたちが卵から生まれ出てくる。しかし、オスはヒナが生まれた後も、しばらくの間は足の上でヒナを守り続ける。

 もし、メスが戻ってくる前にヒナが生まれてしまうと、ヒナたちは食べるものがない。そのため、オスは食道から乳状の栄養物を吐き出し、エサとしてヒナに与える。これはペンギンミルクと呼ばれている。飢えた体に蓄えられたわずかな栄養をヒナに与えるのである。

 メスが戻ってくると、オスとメスとが互いに鳴き合ってパートナーを探す。不思議なことに、一万羽ものペンギンの群れの中で、声だけでパートナーを探し合うことができるという。なんという絆(きずな)で結びついた夫婦なのだろう。しかし、必ずパートナーに会えるとは限らない。

 メスが戻ってきても、オスが死んでしまっていることもある。

 オスが待ちわびても、旅の途中で行き倒れたメスが戻ってこないこともある。もし、メスが戻ってこなければ、オスとヒナは、飢えて死ぬしかない。

 生きてオスとメスとが出会えることは、本当に幸運なことなのだ。

 こうして無事にメスが戻ってくると、オスはメスにヒナを預け、メスは足の上でヒナを育てる。そして今度は、オスがエサを獲(と)りに海に向かうのである。

 しかし、もう四か月もの間、何も食べていない。ブリザードの中で卵を抱き続けたオスの体力は、もうほとんど残っていない。

 海までの距離は五〇~一〇〇キロメートルほどにもなる。もちろん、旅の途中にもブリザードは吹き荒れる。弱ったペンギンを狙って、海にはアザラシやシャチなどの天敵も待ち構えている。

 何もない真っ白な大地を、ペンギンのオスたちは歩き続けるのだ。

 飢えと寒さが容赦なく襲いかかる。オスたちは、もう限界に近い。

 一羽、また一羽と歩き疲れて命が尽きてしまうオスもいる。それでも他のオスは歩き続ける。海にたどりつくより他に、生きる道はないのだ。

 こうしてオスが魚を獲って群れに戻ると、今度はメスがエサを獲りに戻る。夏の季節である一二月頃になると子育ては終わりを告げる。そして、ヒナが独り立ちをすると、ペンギンの群れはエサの豊富な海へと移動し、三~四月頃になると、繁殖のためにまた内陸に向かうのである。

 コウテイペンギンは五歳くらいで性的に成熟し、寿命は一五~二〇年であるとされている。この間、彼らは命が続く限り毎年繁殖行動をし、過酷な子育てを繰り返すのだ。

 コウテイペンギンの子育ては壮絶である。そして、常に死と隣り合わせである。

 たくさんの死の中で、新たな生が育まれる。

 南極という過酷な環境で、コウテイペンギンたちはこうして命をつないできたのだ。

目次より

Ⅰ………愛か、本能か

1……コウテイペンギン 氷の世界で数か月絶食して卵を守り続ける父
2……コチドリ 子を守るための「擬傷」と遺伝子の謎
3……ツキノワグマ 一年半の子育てを繰り返す母グマと銃声
4……オビラプトル 化石から見えてきた恐竜たちの愛
5……カバキコマチグモ 最強の毒グモの最期の日は、わが子の誕生日
6……ゴリラ 「幼稚園」での集団保育と、家族に囲まれた最期
7……チーター 狩りも子育ても一身に背負う母の苦難
8……ブロブフィッシュ 世界一〝ブサイク〞な魚の深海での愛

Ⅱ………生き物と人

9……セミ 羽化をはばまれた夏
10……シラスとイワシ 大回遊の末にたどりついたどんぶり
11……ウナギ 南方から日本へ向かう三〇〇〇キロの旅の果て
12……ホタル ある夏の「こぼれ蛍」の孤独
13……ゴキブリ 不死身の「生きた化石」
14……ウシ 最後は必ず肉になる経済動物
15……ヒョウ 剝製となった動物たちの悲しみ
16……渡り鳥 バード・ストライクの恐怖

Ⅲ………摂理と残酷

17……カエル モズに串刺しにされたものたちの声なき声
18……クジラ 深海の生態系を育む「母」
19……ウスバキトンボ 熱帯からの日本行きは死出の旅
20……ショウリョウバッタ 干からびても葉を離れない「即身仏」の祈り
21……クマケムシ なぜひたすら道路を横切るのか
22……カタツムリ 動きを操られてしまった臆病な生き物
23……日本ミツバチ 世界最強のオオスズメバチに仕掛ける集団殺法

Ⅳ………生命の神秘

24……雑草 なぜ千年の命を捨てて短い命を選択したのか
25……樹木 「生と死」をまとって生き続ける
26……X 今あなたがいる、という奇跡
27……人間 ヒト以外の生き物はみな、「今」を生きている

著者紹介
稲垣 栄洋いながき・ひでひろ

1968年静岡県生まれ。静岡大学大学院農学研究科教授。農学博士。専門は雑草生態学。岡山大学大学院農学研究科修了後、農林水産省に入省、静岡県農林技術研究所上席研究員などを経て、現職。著書に、『生き物の死にざま』『生き物の死にざま はかない命の物語』『スイカのタネはなぜ散らばっているのか』『身近な雑草のゆかいな生き方』『身近な野菜のなるほど観察記』『蝶々はなぜ菜の葉にとまるのか』(いずれも草思社)、『身近な野の草 日本のこころ』(筑摩書房)、『弱者の戦略』(新潮社)、『徳川家の家紋はなぜ三つ葉葵なのか』(東洋経済新報社)、『世界史を大きく動かした植物』(PHP研究所)など。