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小説でしか表現できなかった、パリの名所「新凱旋門」の真実の記録
2024年の今年は、パリでオリンピックが開催されます。これから映される現地の映像の中に、ひときわモダンで、純粋な立方体の門型が目を引く名所が映るかもしれません。それが新凱旋門(ラグランダルシュ)であり、本書はその建物の壮大な建設までの道のりを記した小説作品です。
この新凱旋門という建築は、1982年から始まった20世紀末フランスの芸術、政治、経済を象徴する「グラン・プロジェ」という壮大な計画の一つです。これはオルセー美術館、新国立図書館、ルーブル美術館のピラミッドなどの錚々たる施設を建設することで都市の更新を目指す、野心的で壮大な計画でした。そのなかの一つ、新凱旋門の建つテートデファンスは、カルーゼル凱旋門からエトワール凱旋門にいたる「パリの歴史軸」のさらに西側にあり、その軸を西へと延長する重要な役割を担う場所であり、どのような建築を建てるかが重要な課題でした。その設計者を決めるために開かれたコンペは、黒川紀章も審査員に名を連ねた国際的なもので、フランスのジャン・ヌーヴェルや日本の菊竹清訓なども参加していました。242もの案の中から選ばれたのは、名も知られぬデンマークの建築家、ヨハン・オットー・フォン・スプレッケルセンによる、きわめて純粋な立方体としてのフォルムをもつ案でした。
驚くべきは、グラン・プロジェを指揮したときの権力者フランソワ・ミッテランは、そのすべての建築に具体的な関与をしたということです。なかでも、このモダンな凱旋門の形をした建築は、ミッテランからすれば自身の「記念碑」として見えていたようで、その建設に並々ならぬ情熱を注いでいました。一国の大統領が、建築のデザインの良し悪しに関与するというのは、建築というものに対するフランスの成熟度を物語っています。日本では、政治家が新国立競技場や大阪万博の建築デザインの良し悪しを判断するなどということは考えられません。
この建築の設計者スプレッケルセンは、デンマークの気質をそのまま体現したかのような人物として描かれています。金髪の容姿端麗な紳士。北欧のミニマルさを体現するかのような、幾何学的な作風。しかし、すべてがシンプルに物事が進むデンマークのやり方は、何もかもが複雑なフランスではうまくいきません。
そんな彼と対を成す本書のもう一人の重要人物、ポール・アンドリューは、シャルル・ドゴール空港を設計した著名なフランスの建築家です。彼自身は新凱旋門のコンペに落選したものの、スプレッケルセンの案を実現することに全力を尽くす女房役を買って出ます。これは日本で言えば、建築家の基本設計を実現するゼネコンのような役割の人物だと言えます。アンドリューはある種の職人的な人物で、現実的にスプレッケルセンの案を実現するアイデアを模索しますが、コンペ案通りに立つことに固執するスプレッケルセンにはそれがなかなか理解されません。そのような困難に加えて、ミッテランにとっては政局が怪しくなっていき、新凱旋門のプロジェクトにも暗雲が立ち込めてくるのですが……
そのような一筋縄ではないか無い登場人物を配しつつ、新凱旋門をとりまく複雑な政治性、空間性、社会性を余さず記し、小説という物語の力でまとめ上げたのが、ロランス・コセです。アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリは彼女の大叔父にあたり、本作でフランソワ・モーリヤック賞、建築書賞を受賞しています。
スプレッケルセンに関して、これまで詳細な作品集や伝記は刊行されていません。それにはしかるべき理由があったことが本書を読むとわかるのですが、そのことが、新凱旋門について「小説として」書かなければならなかった大きな理由となっています。それは本作を決してネガティブにはしておらず、詳細なリサーチに基づいたうえで、文学的詩情を交えて描かれたことで、歴史学では記すことのできなかった、小説のみに可能なナラティブの力が宿っています。
パリの名所にまつわるこの壮大な物語を読めば、建築にどれだけの力があるかを感じていただけることと思います。その体験は、新凱旋門だけではなく、日本の巨大建築の在り方についての見る目も変えてくれるはずです。
(担当/吉田)