草思社

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先生を取り巻く苛酷すぎる現状

追いつめられる教師たち
齋藤浩 著

ベテランの公立小学校教諭が忖度なしに綴る「先生不足」の本当の理由

 昨年、うつなどの精神疾患が原因で休職を余儀なくされた公立学校の先生の数は6539人で、過去最高を記録しました。先生のメンタルヘルスについては近年、大きな問題となっており、文科省でも対策に乗り出してはいますが、いっこうに改善の兆しはありません。また先生のなり手不足も深刻で、教員採用試験の倍率は記録的な低さになってしまっています。いま日本の先生に何が起こっているのでしょうか。なぜ教師という職業はかつての輝きを失ってしまったのでしょうか。本書はまもなく定年を迎えるベテラン教師が、自身の豊富な現場経験にもとづいて、「日本の教育のために、最後にこれだけは絶対に言っておきたい!」という思いでつづった問題提起の書です。
 著者はまず、教師を「なんでも屋」のように使役しようとする一部の保護者のせいで教師がどれほど疲弊しているかについて具体的に書いています。放課後も休日もおかまいなしに寄せられる要望の数々……。恐ろしいことに、そこで対応を誤るとしばしば「訴えるぞ!」という脅し文句すら投げつけられるのです。しかし、教育委員会も校長も先生を守ろうとはせず、保護者の顔色をうかがって負担を現場の教師に押し付けます。誰も守ってくれない状況で、孤立感を深めながら長時間労働を続け、心身の限界を迎えていく……。本書には、心ある先生が追い込まれていく状況がさまざまな実体験を交えながら描かれています。
著者は前著『教師という接客業』において、「サービス業」意識で生徒・保護者に相対することを求められ大混乱に陥っている教育現場の状況を克明に描きましたが、本書においては、その状況を変えるために動くべき学校の管理職(校長)や教育委員会、文科省がいかに状況認識を誤り、問題を深刻化させているかについても言及しています。そこには現場感覚の欠如や事なかれ主義といった、あらゆる組織をダメにする問題がはっきり見てとれるのですが、公教育の世界においては誰も火中の栗を拾おうとはせず、事態は「このままでは、まともな教師がいなくなる!」というところまできたのです。公教育の担い手が毎年、数千人単位で心を病んで教壇に立てなくなるような国に未来はありません。今、目の前にある大きな危機に気づいていただくために、多くの読者に手にとっていただきたい一冊です。

(担当/碇)

【本書より】

 われわれ教師が必要以上に愛想よく、なんでも受け入れそうな姿勢を見せ続けたからだろうか、保護者の一部には、
「学校の先生はいくら使ってもタダなんだから、なんでも言わないと損するわよ」
 と教師をバカにするような態度を隠さない保護者もいるらしい。
「それは、ダメでしょう」
 と別の保護者が注意しても、悪びれる様子はなかったという。
「だって、先生たちは公務員でしょう。私たちのために動いてくれて当然じゃないの」
 言っておくが、われわれ教師は雑用係ではない。大学で教職の単位をとり、教科の指導法などを学んで教壇に立っている教育のプロなのだ。
「家のまわりに変な中学生がいるんです。先生、ちょっと見にきてくれませんか」
 実際にある保護者からこんな依頼を受けたときは、心底驚いた。悪びれた様子などまったくない。家のまわりのパトロールまで教師の仕事だと思いこんでいるのだ。

【目次】

はじめに 教師の我慢も限界にきている!

第1章 教師は「なんでも屋」じゃない!
「だって、先生たちは公務員でしょう」
「なくなった教科書を探して!」
「放課後も学校で子どもを預かって!」
「猫の引き取り手を探して!」
「ゲームをやり過ぎないように注意して!」
「他の保護者とのトラブルの仲裁をして!」
「少年サッカーのコーチをして!」
「できるだけ子どもと一緒に遊んで!」
「子どもたちの様子を学校のブログにあげて!」
「答えられそうな表情をしていたら指名してあげて!」
「子どもの発表会を見にきて!」
「嫌いなものを食べて吐かないか見ていて!」
「水筒を持ち帰るように呼びかけて!」
「旅行先からオンライン授業に参加させて!」
「具合が悪いけど学校に行かせたので面倒を見て!」
「つねに笑顔で授業をして!」
「クラスごとに違いがないようにして!」

第2章 訴えたいのは教師のほうだ!
教師と保護者の関係が歪むとき
「訴える!」と言われれば哀しいけど怯むよ
クレームの行き着く先はの多くが教育委員会
被害妄想とナルシスト、二つのタイプのクレーマー
言った保護者は忘れても言われた教師は覚えている
突然、保護者にビンタされた校長
病院中に響きわたった罵声
「不登校は先生のせいです」
それでも教師が訴えない理由

第3章 親はきちんと躾をしてから入学させろ!
「誰、このおじさん?」
「うちはうちのやり方で躾をしていますから」
「注意しないで」子どもが立派に育つと思っているのか
せめて座って人の話を聞けるようにしてくれ
自分から手を出しても「大目に見てほしい」
「泣けばなんとかなると思っていた」
哀しき挨拶運動
写真を撮りまくる保護者、ガムを噛む保護者
保護者も時間どおりに行動してください!
親は子どもに「本当の楽しさ」を教える必要があるのだ
クラスの全員と気が合うはずはないだろう
チャイムが鳴ったら教室に戻るぞ!

第4章 文部科学省も教育委員会も教師の味方じゃない!
教師という仕事はなぜ魅力を失ってしまったのか
最低賃金を下回る教師の「残業代」
現場を知らない役人による意思決定の弊害
教師不足の根本原因から目をそらす文科省
「空いた時間を見つけて授業をやっている」という感覚
「#教師のバトン」プロジェクトの欺瞞
教育委員会はもっと教師の声に耳を傾けるべきだ
教育委員会はなぜ「子どもの使い」のようなまねをするのか
教育長が専用車で移動する必要があるのか
異常な学校間格差はなぜ生まれるのか
全国学力・学習状況調査は誰のためにやっているのか
自治体は教師不足の本当の理由をわかっているのか

第5章 覚悟のない人間が校長になるな!
「触らぬ神に祟りなしですよ」
「校長になったことを、私の母も大変よろこんでおりまして」
「私にはこうして謝ることしかできません」
「教育委員会でも、そう言っているので……」
学校はなんのために謝罪会見を開くのか
校長なら言ってみろ①「私がなんとかしましょう」
校長なら言ってみろ②「一生懸命やっているのだから恐れることはありません」
校長なら言ってみろ③「保護者との人間関係が悪くなってもしかたない」
校長なら言ってみろ④「ここまでやったんだから、もういいよ」
校長なら言ってみろ⑤「クレームはすべて引き受けます」
校長なら言ってみろ⑥「思いきって業務を減らしましょう」
「そのように育てたのは、あなたですよ」

終章 これ以上バカにするなら、まともな教師がいなくなるぞ!
処方箋などあるはずがない
結局は誰もが損をする
「一〇年後」では手遅れなのだ

著者紹介

齋藤浩(さいとう・ひろし)
1963(昭和38)年、東京都生まれ。横浜国立大学教育学部初等国語科卒業。佛教大学大学院教育学研究科修了(教育学修士)。現在、神奈川県内公立小学校教諭、日本獣医生命科学大学非常勤講師。日本国語教育学会、日本生涯教育学会会員。著書に『教師という接客業』『子どもを蝕む空虚な日本語』『お母さんが知らない伸びる子の意外な行動』(いずれも草思社)、『ひとりで解決!理不尽な保護者トラブル対応術』『チームで解決!理不尽な保護者トラブル対応術』(いずれも学事出版)などがある。
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