草思社

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信長や秀吉をも惹きつけた、能の魅力とはいったい何なのか?

怖くて美しい能の女たち
――日本人の美意識の究極のかたち
林望 著
怖くて美しい能の女たち

■能とは人間の本質を“えぐり出す”芸術だった!

能は難解で、取っつきにくい?
いいえ、本書を読めば、能がどこまでも「人間的」で、驚くほど私たちに近しい芸能であることが見えてきます。
能は、実に「人間の本質」を“えぐり出す”芸術だったのです。
本書で取り上げられているのは、女性が主役となる代表的な能の八曲――
『葵上』『野宮』『紅葉狩』『巴』『隅田川』『道成寺』『砧』『姨捨』。
その多くが、この世に未練や怒り、愛情を残してさまよう女の亡霊を描いています。
けれど、彼女たちは単なる“お化け”ではありません。
彼女たちの姿には、愛に傷つき、怒りに震え、喪失に苦しみ、老いを受け入れる……。そんな人間の普遍的な感情が、圧倒的な凝縮感と美しさをもって表現されているのです。

■「怖い」だけではない。「美しさ」こそが能の真髄

たとえば『道成寺』。若い美形の僧に裏切られた女が大蛇と化し、鐘に取りすがって焼き殺すという、能の中でも最も有名な作品です。
ただし著者は、その物語の裏にある“女の側からの視点”をていねいにすくい上げます。
嫉妬に狂い、化け物と化すしかなかったその姿は、単なる恐怖の対象ではなく、むしろ切なく、悲しく、そして美しい。
それは『葵上』や『野宮』にも共通します。『源氏物語』を下敷きにしたこれらの曲には、平安時代の貴族社会に生きた女たちの複雑な感情、抑圧と苦悩、そして狂気と救済が描かれています。

■能の入口に。古典の再発見に。文学の味わいに。

本書は能の入門書としても最適です。
各曲のあらすじ、元になった古典作品、謡の詞章、舞台上の所作や装束、小書の解説なども盛り込まれ、観劇の予習・復習にも大いに役立つでしょう。
また、『源氏物語』や『平家物語』などの古典愛読者にとっては、古典の“読み替え”や“脚色”の妙を味わえる副読本としても楽しめます。
世阿弥が創出し、いまも脈々と生き続ける能という芸術の、奥深さと面白さを、ぜひ多くの方に読んでいただければ幸いです。

(担当/吉田)

本書「序文」より

「数多い能のなかから、本書では、考えに考えて、八曲を選んで読むことにした。
  葵上
  野宮
  紅葉狩
  巴
  隅田川
  道成寺
  砧
  姨捨
 この他にも取り上げたい曲はたくさんあるのだが、まずはこの八曲を選んで、男女情愛の機微、恋情と諦観、女を巡る民俗や信仰、男よりも強い存在としての女、母の愛と苦悩、女の恋の執念と狂気、捨てられた女の苦悩と悲愁、そして老境と孤独、などできるだけ多様な側面から、能の表現していることを読んでみたのである。
 読み解くに当たって、それぞれの曲の原拠とすべき先行文学作品、すなわち、『源氏物語』『平家物語』『大和物語』などとの詳しい比較をするだけでなく、さらにその淵源ともいうべき民俗学的な考察も加味したところである。
 できるだけ分かり易く書いたつもりだけれど、なにしろ相手は古典文学と能の詞章だから、そこは読者諸賢もじっくりと読んでいただければ幸いである。
そしてもし、ここに取り上げた曲が能楽堂で演ぜられる機会があったら、ぜひとも、足を運んで実際に観てほしいと思うのである。
 それが私から読者への、切なるお願いである」

目次より

第一章『葵上』 主人公は誰なのか/ 源氏の心には別の女性が……/ 源氏と葵上の夫婦仲/六条御息所への不適切な恋/ 紫式部の非凡さがあらわれる「葵上の死にざま」/ 能のなかの葵上/ 江戸時代に復活された演目/御息所の狂乱/御息所を突き動かしたもの/ 不自然な「終りかた」、もっとも影の薄い女
第二章『野宮』 源氏の年上の恋人、六条御息所/ 六条御息所の性格/ くすぶる源氏への想い/ 賢木「野宮の別れ」の名場面/ 能の『野宮』が再現しようとしたものは何か/ 結局、成仏できない御息所
第三章『紅葉狩』 美しい女ばかりの上臈一座/ 女ばかりで何をしていたのか/ 古来五月五日は「女の日」だった/「野」は聖俗の交錯する特別な場所/ 酒の毒と女の色香に当てられて/ 女の正体、鬼とは何か/ なぜ戸隠だったのか
第四章『巴』 五種類に分類される能のテーマ/ 『巴』はなぜ異色なのか/ 義仲最愛の妾(おもいもの)であった女/ なぜ巴は亡霊になったのか/ 巴のうらみ/ 能が作り変えた筋書き/ 能としての美学、曲の背景にあるもの
第五章『隅田川』 能初心者におすすめの曲/ 女物狂いの登場/ なぜ女は「物狂い」になったのか/ 当時は、「地の果て」だった隅田川/ 母と子/ 世阿弥ならどう演出したか
第六章『道成寺』 もっとも 恐ろしげな、ホラー的刺激に満ちた曲/ 美しい白拍子に惑わされて/ 「踏む」という鎮魂呪術/ 改作前の『鐘巻』/ シテが鐘のなかで独力で変身/ かわいそうな男
第七章『砧』 晩年の世阿弥が到達した境地とは/ 主人公は夫に捨てられた妻/ 三年経つと夫婦に何が起こるのか/ 恨みの砧の音/ さながら映画のような見事な一場面/ 突然の結末と女の亡霊/ 『源氏物語』の面影、痛切な悲憤/ 恋の妄執によって死んだ報い/ なぜ成仏できたのか
第八章『姨捨』 駆け出しの能役者には許されない曲/ 月の名所、姨捨山/ 二つの姨捨山伝説/ 能の『姨捨』/ 不思議なことを言う女/ 月の美しさと風流の応酬/ 女の隠者/ 姨捨山の皓々たる満月の夜景/ 名歌に導かれるクライマックス/ 老いの孤独を表現したかった世阿弥の意図

著者紹介

林望(はやし・のぞむ)
1949年東京生まれ。作家・国文学者。慶應義塾大学文学部卒業・同大学院博士課程満期退学(国文学)。東横学園女子短期大学助教授、ケンブリッジ大学客員教授、東京藝術大学助教授等を歴任。『イギリスはおいしい』(平凡社/文春文庫)で日本エッセイスト・クラブ賞、『ケンブリッジ大学所蔵和漢古書総合目録』(P・コーニツキと共著、ケンブリッジ大学出版)で国際交流奨励賞、『林望のイギリス観察辞典』(平凡社)で講談社エッセイ賞受賞。『謹訳源氏物語』(全十巻、祥伝社)で毎日出版文化賞特別賞受賞、後に『(改訂新修)謹訳源氏物語』(全十巻、祥伝社文庫)。『恋の歌、恋の物語』(岩波ジュニア新書)、『往生の物語』(集英社新書)、『枕草子の楽しみかた』(祥伝社新書)等、古典評解書を多く執筆。学術論文、エッセイ、小説のほか、歌曲の詩作、能評論等も多数手がける。近著に『結局、人生最後に残る趣味は何か』『和歌でたどる女たちの恋心』(いずれも草思社)、『節約を楽しむ』(朝日新書)がある。
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