草思社

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すべてが視覚化する時代に、「触れたい」建築を考える

建築と触覚
――空間と五感をめぐる哲学
ユハニ・パッラスマー 著 百合田香織 訳

SNSやメタバース空間の登場など、世界がますます視覚を重視していくかのように感じられる昨今。そんな視覚以外の空間体験が薄まっていくような時代に、空間における五感の重要性を考えるのが本書のテーマです。
建築は、視覚の芸術である側面を強くもちつつも、触れたくなるような質感や温度・光の質の調節、静寂を生み出すといった、五感のすべてを統合する術として誕生しました。それがどのようにして視覚を重視するようになったのか。あるいは、そのことを批評した思想家や建築家にはどのような人がいたのか。それを古代から現代の建築家まで考察し、今あるべき「触れたくなるような」建築の姿を問いかけます。

思想の面では、哲学や美学に多分に触発されています。例えば、デカルトと比較しつつ、メルロ=ポンティについて「ポンティの哲学の著作は、一貫して知覚全般、なかでも特に視覚に主眼をおいたものだ。ただデカルト的な外部観察の眼とは違い、メルロ = ポンティの言う見る感覚とは『世界の肉』の一部という肉体化された視覚である」と述べ、身体的な感覚を伴った視覚の在り方について考察していくことで、視触覚的な建築についての考察を展開していきます。西洋を中心にしていますが、谷崎潤一郎や岡倉天心にも言及があります。

また、建築家への言及ですが、最大の巨匠であるル・コルビュジエについてみてみましょう。彼は雑誌などのメディアにどう建築が映えるかを非常によく計算していた人であり、そういう意味では視覚的建築を重んじた人でした。「建築は造形のものだ。造形とは、目に見えるもの、目が測れるものだ」という言葉もあるほどです。しかし、実際の作品では、「コルビュジエの作品において手は眼に劣らぬほど献身的にその役割を果たしていたのだ。コルビュジエのスケッチや絵画には触覚の要素が力強く現れているし、そうした触感的な感覚はコルビュジエの建築に対する考えにしっかり組み込まれている」と著者は述べます。そのほか、アアルトやツムトア、安藤忠雄といった現代建築家の作品における五感についての設計についても触れています。

このように、古代だけでなく近代、現代の優れた建築家は、視覚重視に陥ることなく、建築空間における五感の統合ということを意識してきていました。彼らのこの遺産を、現代において正しく批評的に継承することで、視覚の流行に流されない、人間にとって「親密な関係性」をもつことができる空間をいまでも作り出すことができるはずです。そして、建築というリアルな空間を扱うものこそが、五感の重要性について世に問いかけるうえで最も有効なものでもあるはずなのです。あらゆるものが視覚重視になっているいま、それに対する批評性を空間そのもので建築が提示していくということが、これほど求められている時代もないのではないでしょうか。

日本では、高名な建築批評家であった長谷川堯氏(長谷川博己の父)が『神殿か獄舎か』のなかで、権威的な視覚重視の建築を批判し、親密さのある装飾性や触覚的な建築の重要性を訴えていました。本書で直接言及されているわけではないものの、問題意識としては非常に連続性があり、長谷川氏の主張を、別の角度から現代に呼び起こすような読み方もできると思います。

著者は、ヘルシンキ工芸大学学長、フィンランド建築博物館館長、ヘルシンキ工科大学建築学部教授・学部長を歴任しており、「The Thinking Hand: The Thinking Hand: Existential and Embodied Wisdom in Architecture 」、「The Embodied Image: The Embodied Image: The Imagination and Imagery in Architecture 」(John Wiley & Sons)のほか、『知覚の問題-建築の現象学- Questions of Perception-Phenomenology of Architecture-』(エー・アンド・ユー)に「七感の建築」という論考を寄稿していますが、日本語で読める単著は今回が初であり、待望の翻訳と言えます。本書は、ArchiDailyが選ぶ名建築書ベスト125に、ラスキンやヴェンチューリといった錚々たる名著とともに選ばれており、海外ではすでに高く評価されています。https://www.archdaily.com/901525/116-best-architecture-books-for-architects-and-students

最後に、本書をラスムッセン以降の最重要建築理論家だと賞賛する建築家スティーヴン・ホール氏が本書に寄せた言葉を引きます。
「この雑音だらけの現状のなかで、本書は、深い思索の孤独と決意――かつてパッラスマーが『静寂の建築』と呼んだもの――を呼び覚ます。……『私たちの存在の深み』は薄氷の上に立たされている」

(担当/吉田)

目次より

前書き 「薄氷」スティーヴン・ホール
序論 世界に触れる

第一部

視覚と知識
視覚中心主義への批判
ナルシストの眼とニヒリストの眼
声の空間と視覚の空間
網膜の建築、立体感の喪失
視覚イメージとしての建築
物質性と時間
「アルベルティの窓」の拒絶
視覚と感覚の新たなバランス

第二部

身体中心
複数の感覚による経験
陰影の重要性
聴覚の親密さ
静寂、時間、孤独
匂いの空間
触覚の形状
石の味
筋肉と骨のイメージ
行為のイメージ
身体的同化
身体の模倣
記憶と想像の空間
多感覚の建築
建築の役割

著者紹介

ユハニ・パッラスマー
現代のフィンランドを代表する建築家、建築思想家。ヘルシンキ工芸大学学長、フィンランド建築博物館館長、ヘルシンキ工科大学建築学部教授・学部長を歴任。著作にThe Thinking Hand: The Thinking Hand: Existential and Embodied Wisdom in Architecture (John Wiley & Sons, 2009)、The Embodied Image: The Embodied Image: The Imagination and Imagery in Architecture (John Wiley & Sons, 2011)などがある。

訳者紹介

百合田香織(ゆりた・かおり)
神戸大学大学院自然科学研究科博士前期課程修了。専攻は建築/建築史研究室。公務員として公共プロジェクトに従事し英国赴任同行を機に退職。建築を巡りつつ翻訳スクールに通い翻訳者として活動を始める。訳書『名建築は体験が9割』『名建築の歴史図鑑』『世界の夢の動物園』(以上、エクスナレッジ)、『配色デザインカラーパレット』(ビー・エヌ・エヌ)など。
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